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2019年8月の記事

2019年8月24日 (土)

ワーケーション

 

  ワーケーション(workation)。「work」と「vacation」とを合体させた造語です (和製英語ではありません)。休暇と仕事を両立させる働き方ということで,最近注目されているものです。先日の87日の日本経済新聞における「「休み方改革」量も質も」という記事では,「有休は本来,個人の判断で取得できるが,周囲に気兼ねして十分に取らない人も少なくない。社内の制度とすることで,社員を休暇取得に積極的に誘導する仕組みだ。旅行を予定している期間に急な仕事が入っても,テレワークなどでこなせれば計画を変更する必要がなくなる」と紹介されていました。これだけ読むと,とても良さそうなのですが,もし法定の年次有給休暇中に仕事をさせるのであれば,労働基準法違反となります(その休暇日が,法律で付与する年次有給休暇の日数を上回る法定外年休であれば別ですが)。

 企業としては,どうせ年休をとらないのだろうからと考えて,これを取りやすくするために,こういう制度を設けようとしているのかもしれませんが,本来は,休みか仕事かはっきりしないようなことをするのではなく,きっちり労働から完全に解放させて休ませることを考えてほしいものです。

 こうした動きの背景に見え隠れするのが,2018年の労働基準法の改正で,新たに5日の年休付与義務が企業に課されたことです。このため,従業員の年休取得率が低い企業では,何とか年休をとらせなければまずいということで,仕事をしてもいいから休んでほしいという動きになってしまっているのかもしれません。とはいえ,何かあれば仕事をしてもらうという状況での休暇付与は,実際に仕事を命じなかったとしても年休の付与日数にカウントされないと思います(解釈問題ですが)。つまり企業としては,義務を履行したことにならないのです。

 私の身近でも,次のようなことがありました。これまで何年にもわたって,夏季の一斉休暇にしていたお盆近辺の日を,年休日に充当するというのです。これは,実質的には取得可能年休日を削減することになるので,明確には違法といえないものの,法の趣旨に反することです。ただ,企業側にも言い分があるのです。従業員が自ら年休を取得しようとしないから,企業としては労働基準法の年休付与義務違反に陥ることを回避するための苦肉の策として,こういうことをせざるを得ないというのです。企業ばかりを責めることができない点が,問題を複雑にしています。

 とはいえ,「ワーケーション」は,あくまで法定年休以外のところで広げるべきです。そして,その延長線上に,真の意味でのテレワークがあるのだと思います。時間的な場所的な拘束から離れ,休暇をどのようにとることも含め,時間管理や健康管理は自己責任というのが,これからの自由な働き方なのです。ワーケーションは,こうした自由な働き方の中から出てくるものです。この自由さを前提としない「ワーケーション」,つまり,「休暇をとってもいいけれど,仕事も忘れるなよ」ということでは,日本人の働き方は根本的には何も変わらないままでしょう。(よくあることですが)中途半端なことをするくらいなら,やらないほうがよいのです。 

 ところで,日経新聞の記事では,小見出しに「欧米では普及」となっていて,ワーケーションが欧州でも普及しているのだろうかとびっくりしてその後を読んでみると,普及していると国として紹介されていたのはアメリカとインドだけでした。「欧」はありません。欧州の常識では,休暇中に仕事をするなど論外です。あまりに雑な小見出しの付け方に,あきれてしまいました。

 

 

2019年8月17日 (土)

英語教育と比較優位

 2020年から小学生の3年生以上に英語教育が必修になるということに,私は反対の立場です(拙著『会社員が消える-働き方の未来図』(文春新書)の223頁)。理由は,英語能力は技術で補うことが期待できるからです。時間的に余裕があれば英語を勉強するのもいいでしょう。しかし,子供の限られた時間について,何に高いプライオリティを与えるのかは,とても重要なことです。やっておいたほうがよいことは沢山あります。そのなかでなぜ英語なのか,ということです。グローバル化が進むから。日本人は英語がそもそも苦手だから。英語をできたほうが外国人と直接コミュニケーションができるから・・・。
 でも半端に英語ができて中身のある話ができない人間が,外国人と英語で話して,丸め込まれてしまうというような心配のほうが大きいです。苦手なものを努力で克服しようとするのは,どうも受験秀才的な発想で,これからはそういうことではダメではないかと思います。苦手なことはやらず,得意なことを伸ばすことに力を入れるほうが大切です。何でもできるというのは,多くの場合,何もできないと同義です。もちろん,苦手であろうかなかろうが,誰でも身につけておくべきことはあります。それが教養です。たとえば,世界に目を向けて,いま何が起きているのか,その原因は何かを考えていくことは,とても重要です。哲学,歴史,地理などが重要な科目です。これを学ぶには,とても時間がかかります。英語なんてやっている時間がもったいないです。英語は,道具にすぎません。しかも多くの人は自分でやらなくてよいのです。海外旅行にツアーで行くと日本語だけですむでしょう。ビジネスでも,重要な商談では優秀な通訳をつけたほうが確実です。
 ちなみに私は英語がとても苦手ですが,それでも国際会議で司会をやったりしたことはあります。大学教育でこれから試される「読む」「書く」「聞く」「話す」のうち,とくに「聞く」は苦手です。アメリカの映画などをみても,とくにドラマとなると字幕がなければほとんど理解できません。でも専門用語が中心となる会議となると,なんとかなるのです。専門の文献を「読む」ことは勉強してきました(英語だけではありませんが)。ボキャブラリーがあるので,専門領域になれば「話す」ことも,なんとかなります。「書く」のはとても苦手ですが,それでも最近でも英語の論文は書いています。これはネイティブの助けを得ることができるからです(ネイティブチェック)。というか「書く」ほうは,どんなに勉強してもネイティブチェックが不要となることはありません。それだったら「書く」ことに,そんなに力を入れなくてもいいです(メールのやりとりも,うまい英語を書くなんてことを考えなければ,これまでの英語教育のレベルで十分に対応できます)。
 しかも,これからの若者は,もっとテクノロジーの助けを得ることができます。私のような英語劣等生であっても,もっと楽に英語を使えるようになるはずです。というか,そもそも外国語を使わなくても,外国人とコミュニケーションがとれる時代が来るのです。機械がやってくれますから。となると大事なのは,話す内容のほうです。
 私は若いころ,ある国際会議で,ある大先生が,抑揚のない典型的な日本語英語で話されるのを聞いて衝撃を受けたことがあります(その先生は「聞く」能力は素晴らしかったですが)。とくに衝撃だったのは,みんなが熱心に耳を傾けて聞いていることに対してです。一緒にいた外国人に聞いたら,初めて聞いたときは何を話しているのか全く理解できなかったそうです。しかし,そのうち,「彼の英語」の発音の特徴がわかったので,理解できるようになったというのです。そして,そのように理解しようと努めたのは,彼の話を聞きたい(彼が何を言っているのか知りたい)と思ったからです。そういえば,私たちも,外国の偉い先生が,日本語を多少でも話してくれれば,理解しにくくても,一生懸命に理解しようと努めるはずです。コミュニケーションというのは,そういうものです。
 ちょうどWedgeの7月号でも,「迷走する日本の英語改革」という特集で,似たようなことを言っている記事が出ていました。AI時代における英語の必要性がどこまであるのかを,もっと考えるべきです。英語教育に力を入れるなら,英語を話せる人材ではなく,英語を話さなくてもよい機械を開発してくれる人材の育成のほうにエネルギーを注入してほしいです。
 同様のことは,プログラミング教育にもあてはまります。プログラミング教育には,プログラミングそのものよりも,これを通して論理的思考が習得できるメリットがあると言われています。でも,英語が苦手な人がいるように,論理的思考が苦手な人がいます。論理的な思考をもっている人は,論理的な思考をもたない人を見下す傾向にあるように思えますが,実は,論理的な思考をもたなくても感性が豊かな人のほうが高級な人間かもしれません。まあ何が高級かは価値観の問題かもしれませんが,とにかく人それぞれ自分独自の優秀さを発揮できる分野があるのです。個人がそうした様々な分野で社会的分業をしていったほうが,国の経済力は増します(アダム・スミスの時代から,そう言われています)。リカードで有名な比較優位論からすると,英語が堪能な国際弁護士は,弁護士活動も英文レターを書くことも得意だけれど,後者は自分よりも英語能力が劣るとしても秘書にやらせて,自分は弁護士活動に専念したほうがよいのです(それに,今後は秘書も機械を使えば,かなりのレベルのことができるかもしれませんし)。国民が相対的に優位な分野で専門能力を磨き,社会的分業をしていくという経済的な視点で,教育政策も考えていってもらう必要があると思います。論理的な思考は苦手だが直感的な閃きをもつ人を,論理的思考をもつ人が支えるということでよいのです。どこかの大国は,そういうようにして回っているようにみえます。

2019年8月12日 (月)

Bidenは大統領になれるか

 Trump大統領の再選にとって,民主党候補として一番手強いのはBiden元副大統領だと言われています。政治経験は長く(上院議員を636年),オバマ前大統領の副大統領時代の仕事ぶりの評価も高い彼は,白人層の支持もかなり得ることができそうです。過去2度の大統領選出馬への失敗に対する同情もあるかもしれません。
 ただBiden氏にも,いろいろ問題があります。親中派とされることはともかく,Wikipediaによると,19421120日生まれであり,すでに高齢76歳の高齢です。大統領に選ばれると就任時は78歳になっています。それに加えて私が注目しているのは,あのAnita Hillのセクハラ告発問題です。
 1991年,合衆国最高裁判所において,初の黒人判事であるThurgood Marshall が引退を表明したことから,当時のGeorge Herbert Walker Bush大統領(パパ・ブッシュ)は,その後任に保守系の黒人であるClarence Thomas判事を指名しました。連邦の最高裁判事は終身制であるため,その影響力は大きく,アメリカにおいて大統領が選ぶ最も重要な政治的ポストであると言われています(現在でも,Trumpが立て続けに保守系の判事を最高裁に送り込んで,大きな問題になっています)。
 最高裁判事は上院の承認が必要であり,慣例により,上院の本会議の前に,司法委員会で審議されます。Thomas判事の指名のときも,司法委員会が開かれましたが,そのときの委員長がBidenだったのです。ここから先は,映画「Confirmation」(https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0791YBL72)によるものとなりますが,Thomas判事には,セクハラがあったとの噂があり,Bush共和党政権と対立する民主党側は身辺調査をします。そして,かつてThomasが教育省やEEOC(雇用機会均等委員会)で働いていたときの部下であり,現在は法学部の教授であるAnita HillがThomasからセクハラにあっていたという情報をつかみ,彼女に司法委員会で証言するように依頼します。彼女は,こうした告発はやったほうが悪者になってしまうと言って渋っていたのですが,最高裁判事人事は,アメリカ人女性の人権に影響すると説得されて,証言をするのです。そのなかで,Biden委員長は,民主党員ではあったものの,あまりHillの告発に前向きに取り組みませんでした。むしろ,Anitaにセクハラの事実を克明に証言させるなど,二次的なセクハラといえるようなこともしています。全員が白人男性という司法委員会において,若い黒人女性が証言するという状況のなかで,彼女をサポートをできる立場にあったにもかかわらず,それをしなかったということで,これはBidenにとっては痛い汚点になってしまいました。最終的には上院の本会議では5248の僅差で,Thomas判事の指名は承認(confirmation)されました。Thomas判事は,まだ現役です。
 Thomasの経歴からは,彼が優れた法律家であることを示すものはありませんでした。また彼は,法的信条については徹底した沈黙路線をとっていました。それは4年前のReagan大統領のとき,Bork判事が最高裁判事に指名された際に,Borkの保守思想を警戒した民主党陣営から徹底的な抵抗があり,Borkもこれに正面から反論しましたが,最終的に指名は承認されなかったということが教訓となったと言われています(Borkは,その後,英語のスラングで,メディアなどで叩かれて公職につくことが認められないという意味の「動詞」 になり,上記の映画のなかでもThomas反対派から「bork されろ」という表現で出てきてます)。とくに,最大の争点であったのは,人工妊娠中絶の規制の違憲判断(1973年のRoe v. Wade事件)についての立場でした。Borkが最高裁判事になると,これが覆されかねないという懸念があったのです。Thomasは注意深く何も述べなかったのですが,その保守的思想から,Borkと同じと推測され,それがリベラル派からは批判の対象となっていました(これも現在,Trumpが保守的思想の最高裁判事を指名したことから,たいへん注目されています。州のなかには人工妊娠中絶を規制する法律を制定するところもあらわれ,連邦最高裁は,約半世紀ぶりに,これを合憲とする可能性が出てきたからです)。
 ところで,Thomasは,当初から,黒人だから判事になれたのではないか,という疑惑もありました。初の黒人最高裁判事であったMarshallの後任だったからです。Marshall自身は,引退会見で,「人種」を,誤った人を選ぶときのexcuse に使ってもらいたいくないと述べて,暗にThomasの適格性に疑念を示していました。会見での「there's no difference between a white snake and black snake; they'll both bite」(白い蛇と黒い蛇との間には違いはない。どちらも噛む)という発言は有名です。
 ThomasがHillに対してしたとされる行為は,身体的な接触のようなものではなく,不適切な発言や執拗なデートの誘いというレベルのものでした。そのことが,当時のBidenらを含む男性白人議員の対応を鈍いものにしたようです。多くの男性議員には身に覚えがあったからでしょう。しかし,前記のように,このときのBidenの対応が,いまとなっては汚点となってしまっているかもしれません
 セクハラがほんとうにあったかどうか,真実は不明なままですが,そのこと自体は,あまり重要ではありませんでした(Thomasとその白人の妻ら家族にとっては重要なことでしょうが)。最高裁判事の承認という一大政治ショーで,Hillの行動が大きく注目されたことにより,多くの女性たちに,男性が支配する現在の社会のままでは,女性は泣き寝入りになってしまう,だから自分たちも立ち上がろう,という勇気を与えたのです。Hillの勇気ある告発が,女性の政界進出へのきっかけを与え,社会を変えるきっかけとなったのだと思います。
 もっとも,その加害者(とされた者)が,黒人であったことは,人種差別と男女差別の政治的な問題としての優先順位(それがあるかどうかも議論がありましょうが)を逆転させるきっかけとなったのではないか,という気もしますが,このあたりはもう少し勉強してみたいと思います。
 そして現在。アメリカの人種差別問題は新たな次元に入りつつあります。白人たちが,自分たちは移民による被害者であり,あたかも自分たちの権利かのごとく移民排斥を主張し始めているのです。こんな時代だからこそ,リベラル派の民主党を長年背負ってきたBiden氏の出番という声が高まっているのかもしれません。若手のなかの急進的なリベラル派も勢いがあるものの,彼ら・彼女らではTrumpには勝てないでしょう。Biden氏の弱点は,皮肉にも男性で白人であるということかもしれませんが,それを乗り越えて,悲願の大統領ポストを得ることができるでしょうか。

 

 

 

2019年8月 7日 (水)

アスクル問題を考える

 一昨日の日本経済新聞の社説で,アスクルの問題が出ていました。オフィス用品通販大手のアスクルに対して,その約45%の株を持つヤフーが消費者向けネット通販サイト「LOHACO(ロハコ)」の事業譲渡を申し入れたことから,両社の関係が悪化し,先日の株主総会で,ヤフーと約11%を持つ第2位株主のプラスが,アスクルの岩田彰一郎社長の再任に反対し,岩田氏は再任されませんでした。これに加えて,ヤフーの社長解任の動きを批判していた戸田一雄氏ら,3人の独立社外取締役も再任されませんでした。
 上記社説では,「上場企業が子会社も上場させる『親子上場』の弊害が看過できなくなってきた。弱い立場に置かれている上場子会社の一般株主の利益を守る仕組みをつくるとともに,企業も日本特有の親子上場の数を減らす努力をすべきだ」とし,とくに「独立社外取締役は,中立の立場から一般株主の利益を守る役割を負っている。仮にヤフーが自分の方に有利な条件でロハコ事業を取得しようとしても,他の一般株主は対抗手段がなくなってしまう」と述べています。
 労働法的観点から言うと,支配株主と社長ないし独立社外取締役が真っ向から対立して,社長がクビになってしまうという事態は,従業員からすれば不安でたまらないでしょう(従業員のどれだけが社長支持であったかわかりませんが)。もちろん,会社で雇われて働くというのは,そういうものだということかもしれませんし,従業員には労働法上の保護が別に確保されているのだから,それ以上のことを労働法の観点から言うべきではないのかもしれません。取締役会への労働者代表が制度化されていない日本法の下では,従業員の発言権にも限界があります。
 ただ,今回の取引が,もしかしたらヤフーに過度に有利で,それがさらにはヤフーの親会社のソフトバンクに有利なものであり,結果,アスクルが搾取されているおそれもあり,もしそうならば,アスクルの従業員の犠牲の下に,ソフトバンクやヤフーが利益を得ることになります。従業員が,経営者の取引の失敗のせいで経営が傾いてしまうことは,労働法の解雇規制(労働契約法16条)の範囲でしか守ることができないかもしれませんが,経営問題が支配株主との取引に起因するとなると,釈然としないと感じる従業員も多くなるでしょう。
 ただ,会社法の観点からは,従業員のことよりもまずは少数派株主の利益を守ることが問題となります。支配株主が搾取して,会社の価値を下げてしまうと,その悪影響をダイレクトに受けるのは少数派株主だからです。もちろん会社の価値が下がると支配株主も損をするのですが,支配株主は個別の取引のほうで得をしているとすると,それで元が取れているかもしれないのです。
 今年の「骨太の方針2019」のなかでも,「④ コーポレート・ガバナンス」という項目があり,そこに「上場子会社のガバナンスについてのルール整備を図り,親会社は事業ポートフォリオの再編のための上場子会社の意義について説明責任を果たすとともに,上場子会社側については,適切なガバナンスの在り方を特段に明確にし,実務への浸透を図る」とし,「(ⅰ)実務指針  上場子会社のガバナンスの在り方を示し、企業に遵守を促す『グループ・ガバナンスシステムに関する実務指針』を新たに策定する。(ⅱ)東京証券取引所の対応等  『グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針』の実効性を高めるため,同指針の方向性に沿って,東京証券取引所の独立性基準の見直し等,上場子会社等の支配株主からの独立性を高めるための更なる措置等を講ずる。」ということが記載されています。
 親子上場が多いのは,どうも日本特有の現象らしく,外国人投資家からはあまり評判がよくないようです。子会社のガバナンスが効きにくいことなどが問題とされているようです。
 とくに経営者が支配株主との取引が会社の利益とならないと判断してこれを拒否し,社外取締役もそれを支持しているときに,支配株主が,この取引に反対している経営陣をクビにしてしまう事態は,会社法ではどのように考えられているのでしょうか。
 かつての同僚である,加藤貴仁・東京大学大学院法学政治学研究科教授が,東京大学法科大学院ローレビューVol.112016年)に寄稿されている「支配株主と少数派株主のエイジェンシー問題に関する覚書~社外取締役などにどこまで期待できるのか~」という論文を読んで勉強すると,少なくとも日本では,支配株主(親会社)が従属会社(子会社)ないし少数派株主に対して何らかの義務を負うとする会社法上の規定も判例もないとのことです。同論文では,独立社外取締役は,選任権のある支配株主の意向に反する行動をとることは難しいのではないかということが書かれていましたが,今回は,あえて反旗を翻し,社長に殉じるということが起きてしまいました。
 もちろん今回の騒動の背景には,岩田元社長の経営失敗という問題もあったようです。支配株主が,経営者の経営責任を追及するのは当然のことであり,それは経営者が創業者であろうとなかろうと関係ないことです。日本経済新聞の続報では,再任が認められなかった独立社外取締役の再任については,「ヤフーとプラスを除く一般株主からは93%95%の賛成比率だった。中立の立場から一般株主の利益を守る役割を負う独立社外取締役については,一般株主の大半は再任の意思表示を示していた」のに対し,「岩田彰一郎前社長の取締役再任議案への賛成比率は20.8%。両社を除いた賛成比率も75.74%で,業績低迷を反対の理由としたヤフーの主張が一般株主からも一定の支持を得たとみられる」,とされていました。
 とするならば,ヤフー側の社長解任は広く支持されており,独立社外取締役までクビにしてしまったことが行き過ぎだったということなのかもしれません。 
 会社には,会社の機関である,社長を頂点とする「経営者」,それから会社によっては,日本型雇用システムの下では社長をチェックできない一般取締役に代わり,独立した立場から経営をチェックする役割を担う「社外取締役や独立役員」がいて,このほかに,会社の所有者といわれる「株主」がいて,それは今回のように「支配株主」(とくにこれが上場会社である親子上場の場合に問題がある)とその他の「少数派の一般株主」(個人,法人)に分かれることがあり,さらに会社法上は表面に出てこないのですが「従業員」や他の「取引先」などもいて,こうした立場の異なる者たちの利益が複雑に絡み合っているのが会社という組織です。素朴な正義感からすると,これらのステイクホルダーのうち,最も強い立場にある者に,最も強い倫理性が求められるべきであり,そうだとすると,今回はヤフーやソフトバンクには,今回の社長や独立社外取締役の解任劇についてきちんとした説明を行うのが,「社会の公器」にかかわる者としての社会的責任のような気がします。

 というように,素人がダラダラと雑ぱくなコメントを書きましたが,現在の会社制度のもつ重要性を考えると,無関心ではいられない問題でした。会社法の専門家や経営学の専門家の意見も聞いてみたいものです。

2019年8月 4日 (日)

吉本興業問題に思う

 かつて一緒にNHKのテレビ番組に出演したことのあるロンブーの田村亮さんの涙の謝罪会見。私が会ったときの田村さんの印象は,あまり芸能人としてのオーラはなく,普通の善良な市民。もちろん,数十分間,テレビスタジオの本番で一緒にいたときに受けた印象にすぎないのですが。
 関西人にとって,吉本興業とその所属芸人はなくてはならない存在です。吉本興業や松竹芸能の笑いの文化にどっぷりそまって私たち関西人は育ってきました。テレビに吉本の芸人が出過ぎという気はしていますが,吉本興業の力はそれだけすごいんだなと思っていました。また吉本興業の労働環境が悪いことは,芸人がネタにして喋っているので,これも周知の事実です。よくこんなことを芸人に言わせて平気だなと思うくらいでしたが,それで笑いをとれるなら良しとして,吉本興業は許容していたのではないかと思います。すべては笑いのため,です。ところが,いま芸人たちが労働環境の悪さを,笑いのネタとしてではなく,本気で口に出し始めました。もちろん,待遇改善のために立ち上がることは,まったく問題はありません。それを,SNSで発信したり,マスメディアを通して世間を味方につけてやろうとするのは,現代風の戦略なのかもしれません。ただ,お笑い芸人は,すべては笑いのためということに徹して芸を磨いて,それを私たちに見せてくれるから,その芸を尊敬できたのです。待遇改善のための世間の同情があったとしても,同時に,舞台裏の見たくないものを見せられてしまったと思った人も少なくないのではないでしょうか。
 以上は一お笑いファンとしての意見ですが,労働法屋としての視点からはどうでしょうか。芸人は労働者ではありませんが,その多くは交渉力のない自営業者なので,労働者に近い存在でしょう。彼ら・彼女らが待遇に不満があるのなら,そのための解決策は,次の二つです。Exit Voiceかです。前者は,要するに,吉本興業と縁を切って,別の事務所に移籍することです。YouTubeの時代なので,事務所に所属しなくても個人で動画配信で食べていけるかもしれません(ピコ太郎の例もあります)。もし辞めたあと,芸能活動を妨害するようなことを吉本興業がすれば,それはジャニーズの元SMAPのメンバーに対するのと同じような独占禁止法上の優越的地位の濫用の問題が出てきます。もちろん,ダーティーなイメージのついた芸人の芸を見たくないという人が増えれば,事実上,活動はできなくなりますが,それは自業自得です。もう一つのVoiceとは,辞めずに待遇改善を要求することです。同じような不満をもっている者が集まって交渉を要求することです。自営業者は労働者ではないので,労働組合は結成できず,会社に団体交渉を申し込んでも,会社には応諾する法的義務はありませんが,会社が任意に応じる可能性はあります(吉本興業は,役員の退陣を迫るお笑い芸人個人との協議に応じたようです[加藤の乱])。なお,労働者ではないと言いましたが,就労の実態いかんでは,裁判所は労働者と認める可能性は皆無ではありません。
 個人的には,Voice よりもExitのほうがよいように思います。いろんな事務所に所属する芸人が,私たちに良いお笑い芸を見せてくれるように競い合い,そのなかで本当に面白い芸人が交渉力をもって,お金持ちになって成功していく姿をみてみたいなという気がするからです(労働法より,競争法的な視点かもしれません)。どこかアウトローの危険な香りがするが凄い芸を見せてくれるような人が,常識の枠内で平凡な人生を送っている多くの人に夢を与えるのです。
 一方,吉本興業のほうはどうすべきでしょうか。契約書がないとか,パワハラ的な発言があるとかは,直ちに改善していくべきでしょう。前述の優越的地位の濫用がないように注意する必要もあります。公正取引委員会も目を光らせていることでしょう。家族的経営が悪いとは言いませんが,それに納得できていない芸人が多いのであれば,その意見は無視できないでしょう。
 それにプラスして,会社のイメージとしても,今回の騒動で傷ついた芸人へのケアは必要でしょう。何らかの処分(謹慎,始末書など)はせざるを得ないでしょうか,教育も同時にして,本人が吉本に所属し続けることを希望するならば,再生させなければなりません(芸能人は,とくに反社会的勢力から狙われやすいので,教育は大切です)。今後,宮迫氏や田村亮氏らの芸をみて笑うことは難しくなるでしょうが,でもそうした芸人であっても,何とかうまくやっていけるようにサポートすることが,吉本興業のイメージ回復のために必要でしょう。その取組を面白おかしくやって,芸の域にまで高めてくれれば,さすが吉本と言われることでしょう。
 最後に気になったことを二つ。田村亮さんには申し訳ないですが,謝罪会見で,会社が親なら子(田村さんのこと)が正しいことをするのを後押しすべきだろうという発言はすべきではなかったと思います。正しいことができない子だったから今の問題が起きているのです。謝罪会見をすることが正しくないかもしれないから,させないようにするというのが親心です。会社が言うことを聞かずに謝罪会見すればクビだと言ったのは,親が子に対して言うことが聞かなければ勘当だというのと同じで,ほんとうに勘当したいわけではないこともあるのです。親子関係になぞらえるなら,むしろああいう会見をすべきではなかったのです。一事業主として弁護士もつけて会社と対峙するまでの気概を示すのなら,会社に甘えるような発言(親として子を支えてほしかったという発言)をすべきではなかったのではないでしょうか。厳しいようですが,そんな気がしたので,あの会見には良い印象がもてませんでした。
 ところで,もし彼らが個人事業主ではなく,雇用労働者であったとすれば,どうだったでしょうか。吉本興業は直営業(闇営業)を黙認していたようなので,これは副業の許容ということになります。副業を許す会社は,現在の風潮ではホワイト企業です。ただ副業が,会社の社会的信用や体面を汚す場合には,会社は規制をしてよいというのが一般的な考えです。会社は,副業先がヤバいところじゃないかのチェックをしてもよいのです。ただチェックをするかどうかは会社の任意の選択であり,チェックをしないほうが従業員の職業選択の自由や私生活の自由を尊重することになりそうですが,一方で,そういうチェックをせずに,今回のようなことが起きてしまえば,会社は信用を損なうリスクを負います。リスク管理の面では従業員に自由に副業をさせることは危険ということでしょう。いったん起きてしまった以上,会社は,信用のリカバーのために全力を尽くすでしょうし,副業をした当該従業員は重い懲戒処分を免れえないでしょう。当該従業員が勝手な行動をして,さらに会社の信用を損なう危険性があるなら,会社としてはリスク管理の視点からそれを阻止することもまた当然でしょう。このようにみると,もし宮迫氏や田村氏らが,雇用関係にある従業員なら,クビになってもやむを得ない面があり,また会社が,従業員が勝手に謝罪会見をするのを阻止しようとするのは当然です。むしろ独自に謝罪会見をさせてしまい,その釈明のための社長会見まですることに追い込まれたのは,リスク管理としてかなり問題があったということになるでしょう。
 実際には彼らは個人事業主なので,これとは話が違う面もあるのですが,本質的にはそれほど問題は変わらないような気もします。ただ,宮迫氏や田村氏が吉本と縁を切り,これから独自に芸能活動をするのなら,彼らがイメージ回復のために謝罪会見をすることを,吉本も止められません。彼らがほんとうに縁を切るつもりなのかどうか知りませんが,もし縁を切るつもりだったのなら,実はマスコミは彼らのイメージ挽回戦略にうまく利用されたことになるでしょう。 
 最後に,もう一つ。反社会的勢力のパーティに呼ばれて芸を披露してお金をもらったことが悪いのか,という点です。これは場合を分けて考えておく必要があります。関西のホテルは,暴力団の会合に場所を提供するのは道義的に問題があるので拒否する行動をとっていますが,もし何らかの理由で実際に会合が開かれてしまった場合には,しっかり料金をとるべきでしょう。宮迫氏らについても,これと同じことで,実際に芸を披露してしまった以上,お金をもらわないほうが,かえって悪い気がします。被害者から吸い取ったお金からギャラをもらったから悪いというのは,感情論にすぎません。むしろボランティアでやっていたら,その反社会的勢力に寄付をするようなものなので,いっそう問題があるでしょう。あるいは,仲間だからノーギャラだったというになることかもしれません。仕事をして報酬をもらうのは当然で,それを非難するのは的外れですし,相当なギャラをもらうということは,反社会勢力と仲間ではないことの証明になりうるような気もします。ましてや反社会的勢力であることを知らなかったとすれば,なおさら報酬受領は問題ないでしょう。そう考えると,お金をもらっていなかったという虚偽発言についても,「嘘をついてはいけません」という普通の道徳レベルの話で,それ以上の非難はできないと思います。ただ,ほんとうに知らなかったかは疑問も残るところであり,知っていて行ったのであれば,道義的に問題が出てくるのは当然ですし,かりに知らなかったとしても,彼らが出演している番組のスポンサー企業が,彼らの商品価値が下がることを理由に文句を言うのは当然のことですが,それはビジネスの問題です。 

 

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