« 高齢者と支出管理,そして若者 | トップページ | 参院選の争点に欠けているもの »

2019年7月 6日 (土)

労働法がなくなる前にやっておきたいこと

 『雇用社会の法と経済』(2008年,有斐閣)の巻末に,諏訪康雄先生と清家篤先生をお招きして,編著者を代表して一橋大学の神林龍さんと私がお話を伺うという形でなされた座談会が掲載されています。そのなかで,諏訪先生が,法学と経済学の違いについて,生理現象と病理現象という言葉をつかって説明をされています(英語でいえば,pathologyphysiology)。法学は,生理現象を意識しながらも,病理現象を扱わなければならないものであるのに対して,経済学は,生理現象を正面から扱うものであるが,ただ,立法のようなマクロの法政策を考える際には,法学も生理現象を扱い,その点で,経済学とすごく照応するところがある,ということです(291頁)。
 法は一般的なルールを定めるものではあるのですが,裁判の実践では,事案に応じた(casuisticな) 法の解釈・適用が必要とされます。法学のこのあたりの問題解決力を,清家先生は経済学の立場からみた法学の特徴として指摘されているのです(304頁)が,これはアリストテレス流にいうフロネーシス(φρονησιζ)であり,実践的な知恵なのだと思います。学問的知識であるエピステーメー(επιστημη)にとどまらない実践的な技芸も扱わなければならないのが法学であり,そこに経済学と法学の違いがあるように思えます。ただ,一般的なルールを定めようとするマクロ政策的な段階では,違いはあまりないのです。
 ところで,マクロの労働政策の立案では,その症状をきちんと診断する必要があり,病理現象が多く出てくる裁判や病理現象を好んで報道する一部マスコミからのミクロ的なエピソードをみているだけでは,診断を誤って過剰な治療をしてしまうおそれがあります。熱が出たときに,それが数日で治る風邪なのか,手術を要する重病が原因なのかでは大違いであり,そこの診断を間違ってはいけないということです (立法を根拠づける事実[立法事実]の存否の判断を誤ってはいけない,と言ってもよいでしょう)。11年前に,労働法律旬報1671号の巻頭言で「労働と法 適切な『診断』の必要性」のなかで,そのような趣旨のことを書いたのですが,これがプロレイバーには大変評判が悪かったようです(後にも先にも,労働法律旬報で執筆したのは,そのときだけとなりました)。
 診断を誤る危険性がある理由の一つは,エビデンスを無視するからということがあります。EBPMの重要性です。ただ何が信頼できる調査や統計かというのが,ちょっと揺らいでいる感じがしますので,エビデンスを基礎づけるデータの扱い方については,私のような統計や調査の素人は注意をしなければなりません。
 もう一つは,評価の視点にバイアスがかかってしまうからということがあります。この点で,依然として階級的対立を前提に資本家(経営者・株主)と労働者をとらえる伝統的な労働法研究者と,企業と労働者には支配従属のような身分関係が生じるとしても,その支配者は領主のような庇護をする存在でもある(日本やアメリカの「厚生資本主義」的企業経営を参照)という側面を注視する立場(主として,経営学者)では,評価がずいぶん異なることになります。労働法は,支配はダメで,庇護だけ拡張せよという発想になりがちで,それが非正社員への庇護の拡大(支配なき庇護)の話にもつながりやすくなっています。この企業内の労使関係という領域の分析は,経済学もずいぶんと発展していますが,労働法に本当に近い分野は,広い意味では経済学の一部といってよいのかもしれませんが,経営学,なかでも人事管理論なのだと思います。
 人事管理論は,支配をすることを前提に,そのなかでいかにして人に働いてもらうかを,経営効率の観点から考えていくものであり,そこでは労働者へのインセンティブが重要なファクターなので,そのような観点からは,労働法に言われるまでもなく,労働者の庇護にも取り組んでいるといえるのです。
 そのことを前提に,ただ,企業が自発的に庇護行動をとるときでも,なお労働法が介入すべき領域があるとすれば,それは何かというのが,「人事と法の対話」(以前に刊行した守島基博さんとの対談本のタイトル)における次のステップでの検討課題だと考えています。人事管理の標準的な議論では,労働法は,外的(環境的)制約の一つと位置づけられて,いわば固定点として君臨(?)していると捉えられていることが多いような気もします(コンプライアンスが強調されるといっそうそうなるでしょう)が,むしろ労働法は,そんなに出しゃばらず,良き企業経営を補完するくらいの役割が望ましいと考えています(なお,いわゆるブラック企業への対策は,拙著『君の働き方に未来はあるか?』(光文社新書)の第3章を参照)。ただ,このような役割をきちんと果たそうとするならば,現在の労働法をかなり修正する必要があります。
 私は第4次産業革命が進むと,企業のあり方が変わり,さらに個人での自営的就労が増えて,労働法は最終的にはなくなっていくと考えていますが,そこに至るまでにはまだ時間があり,その間にやることがあります。それが,上記のような観点からの労働法の見直しであり,それが結果として,労働法の(限界があるとはいえ)延命につながるのではないかと考えています。

« 高齢者と支出管理,そして若者 | トップページ | 参院選の争点に欠けているもの »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事