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2019年6月30日 (日)

現代ビジネス登場

 講談社の現代ビジネスに1年ぶりに寄稿しました(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65478)。再度の依頼があったときには驚きました。昨年書いた労働時間に関するものは,あまり評判が良くなかったのではないかと思っていたからです。今回打診のあったテーマは,「労働法がなくなる日」か「同一労働同一賃金とは何か」でした。これと違うテーマをこちらから提案することもできましたが,自分の問題関心にもあっているし,ただ同一労働同一賃金は,日経新聞の経済教室に書いたばかりでしたので,前者のテーマで書いてみることにしました。といっても内容は,『会社員が消える日-働き方の未来図』(文春新書)など,いろんなところで書いているものなのですが,初めて読む人も少なくないと思い,繰り返しとなることを恐れずに書いてみました。
 私が自分でつけていたサブタイトルは,「「身分から契約」の再来に備えて,自助力を磨け」というものでした。これまでに書いたものとの違いは,労働関係の捉え方における,「身分⇒契約⇒身分⇒契約」という大きな流れを軸にしてみた点です。第1次の「身分⇒契約」のときに,労働法が誕生して身分的な庇護の要素を取り入れて「契約⇒身分」となった(法形式的には契約のままですが)が,第4次産業革命が到来し,生産現場での組織的就労という実態がなくなっていくと,第2次の「身分⇒契約」が起こる。しかし,そこではかつての労働法的な政策(庇護的な対応)ではダメで,自助を促進する政策が必要である,というのが主たるメッセージです。
 第1次の「身分⇒契約」のとき,フランスのナポレオン法典(それがドイツのBGBなどの欧州の民法典,さらには日本の民法にも影響しています)では,労働関係を契約的に構成する際に,ローマ法のlocatio conductioを借用して,「モノ」の賃貸借と同列に置いたことから,前近代の身分的関係にあった「ヒト」的な要素(庇護)が抜け落ちてしまいました。そこで,ドイツのゲルマニステン的な議論(忠勤契約論)をベースに,Sinzheimerらにより従属労働を基礎とする(集団主義的な)労働法学が誕生していくことになります(Sinzheimerについては,久保敬治『ある法学者の人生-フーゴ・ジンツハイマー』などを参照。またゲルマニステンの代表であったGierkeを紹介した文献は多数ありますが,近時のものとしては,皆川宏之「オットー・フォン・ギールケにおける雇用契約の法理(1)(2)」季刊労働法238号,239号が参考になります)が,日本では,大企業を中心に(それは戦前から始まっているのですが)労働法に関係なく身分的な庇護を加えていたのです。
 しかし今日の日本型雇用システムのゆらぎは,企業による庇護を難しくしますし,技術革新は労働力の取引をより契約的なものに変えていき(それは雇用から請負へという流れでもあります),第2次の「身分⇒契約」が起きているのです。いまそれにどう対処しようかと,多くの国の労働法学者が知恵を絞っており,そこでは,労働法的なアプローチ(従属性に着目した公助を中心とするアプローチ)を拡大していこうとする動きもみられるのですが,私は,それは適切な政策ではないのではないか,と考えています。やはり中心は自助であるべきであり,従属しないようにするための自助力向上のサポートこそが求められる政策なのです。
 老後2000万円問題といった時事ネタを入れたところを,編集部が反応してくださったのですが,自助の大切さという点ではこれも労働の場面と同じだと考えています。
 世間では,労働にせよ年金にせよ,自助は,あまり評判が良くないようですが,これは私の考え方のバックボーンであり,自助を中心に据えたなかでの,それを補完する公助(さらには共助)のあり方を,これからも考えていきたいと思っています。
 ちょっと悩んだのは,元号使用に対する拒否的なことを以前にこのブログで書いておきながら,今回は,しっかり昭和・平成・令和を,導入と締めで使っているところです。個人的には,判例などでの表記で平成○○年というのは西暦に変えて欲しいという気持ちに変わりはありませんが,今回は,昭和,平成,令和という時代の区分が,読者にわかりやすいかなと思い,そのことを重視しました。成功しているかどうかは自信ありませんが。

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