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2019年6月の記事

2019年6月30日 (日)

現代ビジネス登場

 講談社の現代ビジネスに1年ぶりに寄稿しました(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65478)。再度の依頼があったときには驚きました。昨年書いた労働時間に関するものは,あまり評判が良くなかったのではないかと思っていたからです。今回打診のあったテーマは,「労働法がなくなる日」か「同一労働同一賃金とは何か」でした。これと違うテーマをこちらから提案することもできましたが,自分の問題関心にもあっているし,ただ同一労働同一賃金は,日経新聞の経済教室に書いたばかりでしたので,前者のテーマで書いてみることにしました。といっても内容は,『会社員が消える日-働き方の未来図』(文春新書)など,いろんなところで書いているものなのですが,初めて読む人も少なくないと思い,繰り返しとなることを恐れずに書いてみました。
 私が自分でつけていたサブタイトルは,「「身分から契約」の再来に備えて,自助力を磨け」というものでした。これまでに書いたものとの違いは,労働関係の捉え方における,「身分⇒契約⇒身分⇒契約」という大きな流れを軸にしてみた点です。第1次の「身分⇒契約」のときに,労働法が誕生して身分的な庇護の要素を取り入れて「契約⇒身分」となった(法形式的には契約のままですが)が,第4次産業革命が到来し,生産現場での組織的就労という実態がなくなっていくと,第2次の「身分⇒契約」が起こる。しかし,そこではかつての労働法的な政策(庇護的な対応)ではダメで,自助を促進する政策が必要である,というのが主たるメッセージです。
 第1次の「身分⇒契約」のとき,フランスのナポレオン法典(それがドイツのBGBなどの欧州の民法典,さらには日本の民法にも影響しています)では,労働関係を契約的に構成する際に,ローマ法のlocatio conductioを借用して,「モノ」の賃貸借と同列に置いたことから,前近代の身分的関係にあった「ヒト」的な要素(庇護)が抜け落ちてしまいました。そこで,ドイツのゲルマニステン的な議論(忠勤契約論)をベースに,Sinzheimerらにより従属労働を基礎とする(集団主義的な)労働法学が誕生していくことになります(Sinzheimerについては,久保敬治『ある法学者の人生-フーゴ・ジンツハイマー』などを参照。またゲルマニステンの代表であったGierkeを紹介した文献は多数ありますが,近時のものとしては,皆川宏之「オットー・フォン・ギールケにおける雇用契約の法理(1)(2)」季刊労働法238号,239号が参考になります)が,日本では,大企業を中心に(それは戦前から始まっているのですが)労働法に関係なく身分的な庇護を加えていたのです。
 しかし今日の日本型雇用システムのゆらぎは,企業による庇護を難しくしますし,技術革新は労働力の取引をより契約的なものに変えていき(それは雇用から請負へという流れでもあります),第2次の「身分⇒契約」が起きているのです。いまそれにどう対処しようかと,多くの国の労働法学者が知恵を絞っており,そこでは,労働法的なアプローチ(従属性に着目した公助を中心とするアプローチ)を拡大していこうとする動きもみられるのですが,私は,それは適切な政策ではないのではないか,と考えています。やはり中心は自助であるべきであり,従属しないようにするための自助力向上のサポートこそが求められる政策なのです。
 老後2000万円問題といった時事ネタを入れたところを,編集部が反応してくださったのですが,自助の大切さという点ではこれも労働の場面と同じだと考えています。
 世間では,労働にせよ年金にせよ,自助は,あまり評判が良くないようですが,これは私の考え方のバックボーンであり,自助を中心に据えたなかでの,それを補完する公助(さらには共助)のあり方を,これからも考えていきたいと思っています。
 ちょっと悩んだのは,元号使用に対する拒否的なことを以前にこのブログで書いておきながら,今回は,しっかり昭和・平成・令和を,導入と締めで使っているところです。個人的には,判例などでの表記で平成○○年というのは西暦に変えて欲しいという気持ちに変わりはありませんが,今回は,昭和,平成,令和という時代の区分が,読者にわかりやすいかなと思い,そのことを重視しました。成功しているかどうかは自信ありませんが。

2019年6月26日 (水)

経済学を学ぶ必要性

 佐々木紀彦『米国製エリートは本当にすごいのか?』(中経文庫)は,とても面白い本で,アメリカという国のことがよくわかります(ただし最近のトランプ現象をみると,アメリカもずいぶんと変わってきているのかもしれませんが)。ぜひ日本の若者にも読んでもらいたいと思います(単行本は2011年刊行なので,すでにベストセラーになっているのでしょうが)。この本のなかで,佐々木氏は,グレゴリー・マンキューから,経済学を学ぶ意味として,「自分が暮らしている世界を理解するため」,「経済へのより機敏な参加者になるため」,「経済政策の可能性と限界とをよりよく理解するため」であるという言葉を引用し,これらを佐々木氏なりに「よき教養人となるため」,「よき経済人となるため」,「よき有権者となるため」と解釈しています。
 素人には,経済学を正確に理解するのは難しいとしても,そのセンスを習得するくらいなら,なんとかなるかもしれません。実際,法学の議論をする際にも経済学的センスや思考がなければ視野狭窄となりかねませんし,国民としても,ポピュリスティックな経済政策にだまされないようにするためには,経済学は必要な素養でしょう。素人には,こういうときのために,新書などの啓蒙書が助かるのであり,私も大阪大学の大竹文雄さんからいただいた多くの新書で勉強させてもらっています。いま手元にあるのは2017年刊行の『競争社会の歩き方』(中公新書)です。(これは以前に書いたことがあるような気もするのですが)そこで書かれている「チケット転売問題」というのが,ずっと気になっていたのですが,最近,この問題について,チケット転売を規制する法律(特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律)が制定されました。この法律では,「興行主の事前の同意を得ない特定興行入場券の業として行う有償譲渡であって,興行主等の当該特定興行入場券の販売価格を超える価格をその販売価格とするもの」を「特定興行入場券の不正転売」と定義し(24項),「何人も、特定興行入場券の不正転売をしてはならない」(3条)し,「何人も、特定興行入場券の不正転売を目的として、特定興行入場券を譲り受けてはならない」(4条)としました。そして,「第3条又は第4条の規定に違反した者は,1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する(91項)とされています。つまり転売をする側も受ける側も処罰されるということです。
 厳しい規制です。この法律に対しては,なんで転売がダメなのかという根本的なところで,どうも釈然としていない部分があり,大竹さんの本でも,転売規制の賛否の意見を丁寧に紹介しながら,最終的には「チャリティ型」を提案されています。詳しくは大竹さんの本を読んでくださいね。
 経済学は,行動経済学の議論が入ってきてから,親しみやすくなっています。大竹さんたちが,積極的に,社会に発信されていることも重要な意味をもっているのでしょう。経済学が,様々なバイアスをもって不合理な行動をとる人間と向き合った議論を進めることにより,非常に説得力の高い学問にブラッシュアップされ,その成果を国民に語りかけている姿をみて,私たちももっと頑張らなければならないと思っています。 政治家には,きちんと,この議論に向き合ってほしいのですが,そうするためにも,私たちが経済学を学んで「よき有権者」となることが必要なのでしょうね。

 

 

2019年6月25日 (火)

朝日新聞に登場

 朝日新聞からの取材依頼は久しぶりですが,テーマ的には,私の本に書いていることで十分かと思い,一回は私の本を読んでくださいとお断りしたのですが,再度きちんとした取材依頼メールが来たので,お受けしました。今回はNECの子会社の転勤の事例をきっかけとして記者の方が問題意識をふくらませられたということで,私には転勤についての法的な問題の確認をしてほしいということでした。今回の裁判それ自体は,事実関係がよくわからないところもありコメントできないので,一般的な話しかしませんとお断りしており,記事もそういう内容になっていたと思います。
 ちょうどカネカのことがネットで話題になっていたこともあり,育児・介護と転勤がホットイシューとなりつつあるようです。これはハラスメント問題と近年の転勤懐疑論なども関連する論点で,労働者の意識や働く環境(たとえばテレワークの活用)が大きくかわるなかで,これまでの転勤文化を維持することはもはや限界が来ているのではないか,という大きな視点で考えていく必要があると思っています。
 個人的には「移動しないで働く」社会の実現を期待しているので,転勤はよほどのきちんとした理由がなければ命じるべきではないと考えています。今回のNECの子会社の裁判では,転勤を命じるきちんとした理由があった可能性もあるのでコメントはできないとしたのですが,それはともかく,法的には,今回の裁判は一種の変更解約告知がなされたとみることもでき,そうだとすると,それが「解雇回避型」(解雇要件を充足しているが,それを避けるためのものか)か,そうでないのかが一つの論点となるかもしれませんね(私は約20年前に,解雇回避型かそうでないかの分類をし,そのどちらに該当するかで変更解約告知の要件が変わってくるということを,『講座21世紀の労働法 第3巻 労働条件の決定と変更』のなかの「変更解約告知」というタイトルの論文で書いています)。

 

2019年6月19日 (水)

投資教育の重要性

 一昨日の続きです。
 労働者の多くはまだいまのところは会社員です。会社の多くは株式会社です。株式会社は,投資家がいるから成り立っています(日本は非上場の中小企業が多いので,あまり一般投資家が支えるという感じではありませんが)。国民が日本の会社に投資をし,その会社が事業を拡大して利益を上げ,それが株主である国民や労働者(会社の債権者)である国民に還元されるという仕組み(会社の法人税によって国の収入になるという形でも国民に還元される) は,株式会社を中心とする資本主義の世の中においては,とても重要なものです(ただし将来的には,大企業は減っていき,株式会社というスタイルとは異なる事業形態が増えると考えていますが)。日本の会社であっても,日本の投資家が少なければ,外国人投資家に頼らざるを得ず,ちょっと論理が飛躍するようですが,解雇規制の緩和という議論にもつながるのです。日本の会社が置かれている労働市場法制は,外国人投資家にとって大きな関心事です。こうした外国人投資家に日本の会社に投資をしてもらうためには,労働市場の硬直性の象徴ともいえる解雇規制の改革が必要となってくるのです(このことは,大内伸哉・川口大司編著『解雇規制を問い直す』(有斐閣)24頁にも少しだけ言及しています)。また,外国の投資家が多ければ,日本のことをよく知らない経営陣を送り込んできて,日本の労働者に合わない企業経営をする危険性もあります。
 もし日本人の投資家が中心となり,解雇規制を維持し,従業員の雇用を守ることこそが株主の考えだとなると,従業員主権型のコーポレートガバナンスが可能となり,労働法制をめぐる議論も変わることになるかもしれません。たとえばCSRの観点から従業員利益を重視する会社に将来性を感じて,そこに優先的に投資をするという投資ファンドに個人が資金を託すということになると,解雇規制の見直し論も弱まっていくかもしれません。
 いずれにせよ,今回の年金問題と株式投資は密接に結びついています。公的年金にしろ,企業年金にしろ,個人年金にしろ,投資による資産運用は不可避です。その投資を政府がやるか,個人がやるかの違いがあるだけです。それだったら個人でやってみようではないか,ということなのですが,どうも日本人には投資はおろか,お金のことを考えること自体がどこかよくないことだという考えの人が多いようです。そうなると,これを子供に教育するなんて論外ということになります。でも,お金のことを学ぶとは,稼ぎ方や運用の仕方だけでなく,使い方(寄付などの社会貢献,浪費をいさめ倹約を進めることなど)までセットなのです。これは,とても大切なことではないかと思います。
 あの村上ファンドの村上世彰氏が書いた『いま君に伝えたいお金の話』(幻冬舎)は,このような問題意識に十分に応えてくれるものでした。平易な文章ですが,「会社員が消える」時代のお金との付き合い方もきちんと書かれているなど,内容のレベルは高いです。また借金の危険性を指摘する部分は,大人こそ読んでおいたほうがよいです。お金は道具にすぎないですが,その道具に振り回されないようにするために,その危険性も知っておかなければなりません。人生には借金をせざるを得ないときもあるでしょうが,できるかぎり借金をしない範囲に自らの欲望を抑える。そのうえで,自分のやりたいことを実現するために働いて稼ぎ,しっかり投資もして増やしいく。そして幸運にも,自分のやりたいことに使う以上に資産形成ができれば,寄付をして社会に還元していく。こういうお金の教育は,ぜひ小学校や中学校からやるべきでしょう。すでに村上氏はそういう活動をされているようですね。

 

2019年6月17日 (月)

議論すべきなのは何なのか?-老後2000万円問題について愚考する

 自民党は参議院選挙に負けるのではないか,という気がしてきましたね。金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」の報告書を受け取らないという意味不明の行為は,ちょっと考えられないことです。ワーキング・グループのメンツを潰しただけでなく,普通はこういうものは担当官庁が,その意向に沿った人をメンバーに選び,メンバーの発言内容をうまく取り入れながら(実に見事に)作文して原案を仕上げるという自作自演で(今回の報告書がそうだったという確証はありませんが),大臣が受け取るのは単なる儀式ということなので,それを受け取らないというのは,よほど大臣が動揺したのでしょう。国民に誤解を招くものだからと言っていますが,それなら誤解を解消すればいいだけです。国民に説明しても無理というのなら,そんな国民に選ばれているあなたたちは何なの,と問いたくなります。それに,報告書をなきものにするというのは,あたかも独裁体制が,確かに存在していたものを抹殺するかのような不気味さを感じます。しかも選挙のことを意識していると堂々と口にする自民党幹部もいて,国民もほんとうになめられたものです(ただ,自民党に代わる政党がないのも事実ですが)。
 公的年金を大きくあてにした老後の生活設計をしている人は,少なくとも真剣に老後のことを考えている人の中では,ほとんどいないと思います。私たちの世代でもそうですし,若者になれば一層そうでしょう。共働きが当たり前になったのも,現在の生活水準を維持する目的もありますが,老後のために少しでも貯蓄しておかなければいけないという意識によるものでしょう。でも貯蓄だけだと老後の準備としては足りないので,きちんと投資をして資産形成をしましょうというのが,今回の報告書なのでしょう。そこまでは,あまりにも当たり前のことです。今回「なきものにされた」とはいえ,この報告書のおかげで,日本人がもっと投資に関心を示すようになれば,それだけでも報告書には意味があったのかもしれません。
 政府は,公助から自助なのか,と問い詰められていますが,堂々とそうだと答えてもらいたいものです。老後の生活保障はもはや国だけではとても無理で,国民自身が主体的に取り組んでいかざるを得ないのです。そして,そのことは国民の多くはわかっているのです。自分たちが祖父母世代と同じように老後を送れると考えている日本人なんてどこにもいないのです。選挙のために隠すと,かえって政府の隠蔽体質を露呈して票を落とすことになるでしょう。
 もちろん,自助というだけで放置するのは無責任です。自助をサポートする公助も必要です。
 私は,今後,フリーで働く個人が増えるという文脈のなかで,基本的には自助だが,セーフティネットも必要と述べて,公助や共助のことに言及しています(拙著『会社員が消える』(文春新書)の第4章)。セーフティネットには,貧困になったときのサポートもありますが,貧困にならないようにするための予防的サポートもあり,これもセーフティネットに入れるようにと提言しています。この予防的サポートこそが,これからの社会保障の重要な分野になると考えています(社会保障法学者からは,とても相手にしてもらえないような議論でしょうが)。私は,その予防的サポートとして,職業教育のことを挙げましたが,とくにお金のことについていうならば,投資教育も挙げるべきでしょう。ファイナンスの知識は,個人が事業資金を得るためにも必要ですし,老後の生活のためにも必要です。後者の面では,政府は国民が資産形成をしやすいような制度作りに尽力すべきですが,それは現在の厚生年金ではなく,確定拠出型の個人年金を中心にしたものとならざるをえないでしょうし,しかも制度を活用できるだけの知識や情報を与える教育も必要なのです(先日のゆうちょ銀行の投資信託不適切販売のような事例に厳正に対処するのも政府の重要な仕事ですhttps://www.nikkei.com/article/DGKKZO46135270U9A610C1EA4000/ )。
 いずれにせよ,老後の生活設計は,人によって違います。生きていくのに最低限のお金があればいいという人と,現役時代の生活水準を維持したいという人では,準備すべき資金の量も変わります。そう考えると,政府がやるべきことは,資産形成に必要な教育をしっかりやったうえで,老後の資産形成は個人に任せること,ただし,実際に生活リスクに直面した人(最低限の生活水準を送ることができない人)には,政府がしっかり生活保障をすることです。後者は,生活保護の延長のようなものとなるかしれませんし,最低基礎年金のようなものに組み替えることになるかもしれませんし,金銭だけでなく,医療,介護,種々の生活サポートが含まれます(その先には,ベイシックインカムの議論もあります)。
 これは要するに年金廃止論です。100年安心というのは,制度がなんとか存続し続けるということを意味するだけで,国民の給付の水準は下がっていくことは避けられません。国からもらえるものがなくなるというのは大きな不安を与えますし,これまでの保険料納付分に対する配慮は必要ですので,廃止するとしても移行期の対策をしっかりすることは必要です(廃止反対論者は,この移行期のコストが甚大と考えるのですが,できるだけコストを小さくする方法もいろいろ提案されています)。大事なのは将来のシナリオです。国民は,ほんとうに年金の保険料を支払い続けたいのでしょうか。厚生年金に入らなければ損をするとよく言われていますが,それは現在の年金制度が存続することを前提とした話です。しかも現在の年金制度には税金が投入されていますし,制度維持には税金投入が増える可能性もあり,そこでは実は税金という名の保険料が支払われているのです。それを知ったとき,老後資金は自分でしっかり工面して国に面倒をかけないから,保険料もとらないでほしいという国民は,もっと出てこないでしょうか。
 老後の所得保障は重要です。だからこそ,年金廃止も選択肢の一つに入れたうえで,いかにして本当の意味で100年安心の所得保障制度を構築するかと議論を,政治の場でやってもらいたいです。それでもやっぱり現在の年金制度を続けたほうがよいという説得的な理由が示されれば,それはそれで幸せなことなのです。ただ,私はそれについては悲観的ですが。

2019年6月11日 (火)

副業促進に思う

 規制改革会議の「規制改革推進に関する第5次答申」のなかに,副業・兼業の促進というのが入っていました。私も,副業についてはよく語ってきましたし(NHKの番組で話したこともありました),『会社員が消える-働き方の未来図』(文春新書)でも書いています(49頁以下)。ということで,関心をもって答申を読んでみたのですが,少し違和感をおぼえた部分がありました。「法定時間外労働は『後から結ばれた労働契約』で発生するという解釈により,主に副業の使用者が,時間外労働に対する割増賃金支払義務を負うとともに,時間外労働規制の上限規制の遵守の義務を負うこととなる。……本業の使用者における副業・兼業者の労働時間の把握・通算に係る実務上の困難や,副業の使用者における割増賃金支払義務等の負担感等から,企業が副業・兼業の許容や,副業・兼業者の受け入れに関して過度に消極的な姿勢に陥ってしまっている恐れがある」というところです。
 異なる事業場間での労働時間の通算に関する労働基準法381項の見直しは,私も数年前に中小企業庁の会議で,プレゼンしたことがあり,ようやくそれが具体的な提言になったかという思いですが,副業受入れ先の使用者が受入れを渋るという話はしていませんでした。そういう話を聞いたことがなかったので,驚きました。私が不勉強で知らなかっただけなのでしょうが,どこかに調査結果が出ていたのでしょうかね。
 労働基準法38条1項は盲腸のような規定で,ほとんど誰も意識していなかったものなので,この規定が企業の行動に影響を及ぼしていたとは考えにくい気もします。自分の従業員がどこの企業で副業をしているかを把握していることなどほとんどなく,わかっていたときも,そこでの労働時間数についてわざわざ問い合わせたりしないでしょうし,あるいは副業先の企業が,その労働者の本業の企業での労働時間数がどの程度であるのかを気にしたりすることなども,考えにくいことです。私が上記の会議で労働基準法38条1項に言及したのは,副業の促進をしようとする際に,あえていえばこの法律の規定が障害になるからだったのですが,通算は同一企業での異なる事業場間でなされるものに限定すると通達を改めればすむ話でもあります。厚生労働省に,とっととやってもらいましょう。しかも副業が自営であれば,そもそもこの規定は適用されません。あくまで雇用されている労働時間の通算の規定ですので。中小企業庁の問題意識も,むしろ,自営的副業のことにあったと記憶しています。上記の拙著では,副業が,自立的なキャリアを形成していくうえで有効だということも書いています(203頁以下)。
 副業というと,健康管理のことも言われますが,副業を許可したからといって,その企業に副業時の労働に関する安全配慮義務がかかってくるわけではありません。企業のなかには,副業を認めると従業員が過労になるのが心配だといって,副業に消極的なところもあるようですが,これは余計なお世話なのです。少なくとも法的には,副業を認めることにより(強制すれば別ですが),安全配慮義務が追加されるということはありません。企業は,従業員のエネルギーをできるだけ自企業に集中してもらいために,副業を渋るのであって,法的な健康管理責任に言及するのは,たんなる口実ではないかという疑念があります。
 ただ最近は企業の利益を考えた場合でも,副業を認めたほうがよいという考え方が広がってきているようです。日経ビジネスの65日号の「時事深層」でも,「みずほ銀行で副業解禁の方針」という記事が出ていました。ただ,この記事だけをみると,みずほ銀行は,方向性を打ち出しただけで,具体的にどう副業を認めていくかは未知数と思えます。記者には,就業規則におけるどのような規定で認めるのかまで,踏み込んで取材をしてもらいたいです。経営者が口に出すだけなら,それを報道することにあまり意味はありません(「AIを利用します」という経営者の言葉を採り上げることに価値がないのと同じです)。許容する副業の範囲,副業を認める手続(届出,許可など),例外的に許容しない事由などまで,しっかりみなければ,副業解禁に本気で取り組むのかについての評価はできません。なお,この記事では,安全配慮義務を労働基準法上の雇い主の義務としていましたが,労働契約法(5条)上の義務です。単なる書き間違いかもしれませんが,この種の間違いはいろいろなところでよく目にするので,いちおう指摘しておきますね。

2019年6月 9日 (日)

ポピュリズムと労働政策

 古代ローマ帝国の「パンとサーカス」に示されるように,ポピュリズム政策は,国民を堕落させ,ひいては国家の衰亡につながるというのが歴史の教訓です。今日の労働法に関する諸々の施策が,古代ローマにおける食料(パン)の無償供与に相当するようなものでないのかが気がかりです。とりわけ最低賃金の引上げ論が問題です。これは,ある面では,労働者に対する賃金の「無償供与」のようなものです。これまでの時給が,自動的に上がるわけですから。しかも,これが中小企業の補助金とセットになっていれば,今度は中小企業への賃金原資の「無償供与」のようなものになります。そういうことをやる政権は,「無償供与」を受ける側からすれば,良い政権だと思うでしょう。日本全国の中小企業やそこで働く人に恩恵が及ぶこういう政策は政治的な効果が絶大で,選挙が近づくと,やりたい誘惑に駆られるでしょう。しかも保守政権がやると,本来,リベラルな政権がやりそうなことなので,リベラル派の野党からの批判がされにくいというメリットもあります。
 ローマでの食糧供給は,Wikipedia情報ですが,「公の場で行われ,受給者は受け取りの際には物乞い行為が大衆の視線に晒されるリスクを負わされた。この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来た」ということのようです(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9)。ところが,現在の最低賃金の引上げは,「物乞い」のようなものではなく,法律上の裏付けがあるかのようなので,堂々と供与を受けることができるのです。政府も,これはみなさんの権利です,というような顔をしています。ほんとうに法律上の明確な裏付けがあるのだろうか,という疑問は先日書いたので,ここでは繰り返しませんが。
 もちろん政権が,国民の喜ぶ政策を打ち出すこと自体は悪いことではありません。むしろ,そういうことは進んですべきです。しかし,それが国民の中長期的な利益になっているのかを,よく見極める必要があるのです。賃金制度をどのように設計して,どの程度の水準で支払うかは,個々の企業の人事政策の根幹に関わるものです。賃金をどう払うかは,企業が「答え」を出すものです。政府は,「答え」を与えるのではなく,良い「答え」を引き出せるような情報提供や環境整備をどうするかを考えるべきでしょう。AIなどの先端技術への対応が,そのための有効な手段ですが,その点はなかなか進んでいないようです。最低賃金や同一労働同一賃金といった「答え」に手をつけるのは,企業や国民を堕落させる誤った政策なのです。ましてや,労働者の購買能力を高めて消費を増やすという目的にも貢献しないのではないかという指摘もあり(6月8日の日本経済新聞朝刊の「マーケット商品」欄の「バイト時給に天井感」),そうなるとなおさらです。
 労働者の生産性が高まり,それが賃金に反映し,消費に回ったり,税収の増加につながったりするのには,時間がかかります。だから政権は,とくに選挙が近くなると,将来に禍根を残すおそれのある政策であっても,それに手をつけたくなるのです。
 実は私は民主主義というものに,最近疑問をもっています。とくに選挙というものに対する評価をもう少し考えなければならないと思っています。それは,また別の機会に改めて書くことにしますが,とにかく選挙が近づくと,問題のある政策が出てきそうになるので,警戒する必要があります。

2019年6月 1日 (土)

エルネオス

 「エルネオス」という雑誌の2019年6月号のなかで,ジャーナリストの元木昌彦さんが,本の著者にインタビューをする「メディアを考える旅」に登場しました。第257回目という歴史のある企画に,拙著『会社員が消える-働き方の未来図』をとりあげていただきました。元木さんは,私よりもかなり上の世代で,そういう世代の方からの率直な疑問や比較的リベラルな視点からの質問をしていただき,個人的には逆に自分の考え方を説明する機会が十分に得られてよかったと思っています。それにしても,いつも思うのですが,世の中には多くの雑誌があるものですね。この雑誌のことも知りませんでした。今回の話が来たときに過去の号をいくつか送っていただき読んでみたのですが,なかなか個性的で読みごたえのある雑誌でした。私の周りにこの雑誌を読んでいる人はいないと思うので,読者の顔が想像できないなか,それゆえ逆にかなりリラックスして自由に話してしまいました。前のInnovators Talkとほぼ同じ時期に受けたインタビューなので,内容的には重複していますが,やはりインタビュアの世代や性別がまったく違うので,答える私の話の与える印象も少し異なっているかもしれません。
 元木さんは,いきなり拙著が「テレワークについての本」である,と指摘しています。これには最初少し違和感がありましたが,よく考えると,私はフリーの個人が,好きな時間や場所で働く時代がくるということを強調しているので,そうなるとこれは「テレワークについての本」だということなのでしょう。AIやロボットに仕事が奪われるとか,雇われて働く会社員が減るということだけではなく,個人がデジタル技術を使って働くようになるところに変化の本質があるという点に正面から反応されたのが,「テレワークについての本」であるという言葉なのではないかと思いました。インタビューのなかでは,そのほかにも,教育の話,労働なき時代の話などもして,最後は農業の将来性を語って終わりました。
 このなかで最初に,テレワークがらみで,私の話が出てきます。大学教授の本業を授業だとすると,そこは残念ながらオンライン化がされていないので,テレワークも実現できていませんが,これもできるだけ早急にオンライン化すべきでしょう(院生の指導はメールやSkypeで可能ですし,会議もその大半はメール会議で済むレベルのものです)。一方,研究という業務(意識としては,こちらが本業)や研究成果の社会還元につながる学外での業務は,まさにICTを使う可能性を試すことができるものです。文科系の場合,実験施設などは不要で,必要な文献がデジタル化されていれば,自宅で作業は可能です。また,テレワーク化により,私たちの時間を奪ってきた学外業務での移動時間のロスをなくし,エネルギーの消耗を減らすことができれば,どれだけ仕事の効率が上がり,余暇や休息の時間を増やすことができるでしょうか。仕事はデジタル技術を使って効率を上げ,仕事以外はアナログ的に楽しむという生き方がよいのでは,と思っています。そういえば,神戸労働法研究会は,オンライン化をしていません。研究会だけならZoomを使ってもよく,そうすると参加者も増えるかもしれませんが,そうしないのは,研究会のメインの目的は,その後の飲み会にあり,効率化が不要だからでしょう。ひょっとしたら日本企業でテレワークが進まないのは,仕事後に部下と飲みに行くというカルチャーが衰退するなか,それを決定づけることになりそうなテレワーク化に心理的抵抗を感じる昭和世代のおじさんがまだ多いからかもしれませんね。
 ところで先日は,アサヒ芸能にも登場しました。やはり拙著の紹介記事です。掲載日がわかっていたので,コンビニで立ち読みしようとしたのですが,ページをめくっていると,女性のヌード写真や風俗関係の記事,芸能人のゴシップなどが次々と出てきて,これは学生に誤解されてはまずいと思い,あわてて退散しました(あとから編集者から該当ページのPDFが送られてきました)。私の紹介記事自体は良いものでしたが,このブログの読者の方で見た方はほとんどいなかったでしょうね。

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