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2019年3月 3日 (日)

労働者協同組合

 拙著『会社員が消える』(文春新書)は,技術革新の発展にともなう雇用労働の減少という文脈で書いているので,登場しなかった論点なのですが(でも登場させておけばよかったかなと反省しています),会社員としての働き方のオールターナティブは,実はフリーの個人自営業者(フリーワーカー)だけではありません。会社員でもあり,フリーでもあるような働き方として,「労働者協同組合」での就労があります。イタリアには社会的協同組合(cooperativa sociale)があり,1990年代以降法整備がされていったことから,私もかつて紹介したことがありました。そのときの観点は,協同組合員の労働者性というものにとどまっていました。有償ボランティアなんかも,こうした問題の一つとして論じたことがありました。ただ,これを労働者性の問題としてみているかぎり,議論のブレイクスルーはできないという感覚をずっともっていました。

 ところで,それからずいぶんと年月を経て,昨年,さわやか福祉財団で,堀田力先生の司会に,山口浩一郎先生,JILPTの小野晶子さんと私が参加した,有償ボランティアの法的検討というテーマの座談会がありました(その内容が,いつ発表されるのかわかりませんが)。そこで私は,これは労働者概念の問題としてアプローチするのではなく,事業者側に対して規制を外すという適用除外のアプローチをするほうがよいという趣旨の発言をしました。この発想は,(いつ国会に出されるのかわかりませんが)「協同労働の協同組合法」の法案にも通じるものです。この法案は,新たな法人格をもつ協同組合を認めたうえで,組合員を,法的には「労働者」ではないが,労働保険との関係では労働者とみなしたり,就業規則に準じる就労規程を労働基準監督署のチェック下に置いたりするなど,労働者的な保護にも配慮したものとなっています。労働基準監督署が関与するのは,名ばかり協同組合が出てくることを懸念したものでしょう。

 いずれにせよ重要なのは,事業の目的であり,私は目的が非営利の公共性の高いものであれば,労働法の適用を全部ないし一部を除外するというアプローチがあるのかなと思い,そういう発言をしました(なお,山口先生は,労働の本質を突くもっと高尚な議論をされていました)。

 昨年,中央経済社から出された,水島郁子・山下眞弘編『中小企業の法務と理論-労働法と会社法の連携-』(いただいておきながら,お礼が遅くなり申し訳ありません)の最後に,商法学者の道野真弘さんの「『労働者協同組合法案』と経営参加」という論文が掲載されていました。本の趣旨から会社法の専門家が執筆されたのでしょうが,今後は労働法学者のなかで,このテーマについて執筆できるような人が出てくる必要がありますね(現在では,明治大学の野川忍先生でしょうか)。

 もう一つ,労働者協同組合というと,JILPTの濱口桂一郎さんが,労働組合の労働者供給を,労働者協同組合とみるべきだということを言われています。これはとても斬新な発想で,労働者供給をする主体としての労働組合の,なんともすっきりしない法的位置づけをクリアに解決する慧眼だと思います。ただ,この議論が広がっていくためには,労働組合(協同組合)側も,供給先との交渉のときに団体交渉という手法を使わないという決意が必要ですね。自分たちは事業者の団体だから,団体交渉は要求しないし,不当労働行為救済の申立てをしたりもしないという決意です。

 労働者の団体であれば労働組合。労働組合が共済事業をすることはもちろん認められている(労組法2条ただし書3号を参照)。事業者があつまれば,独占の危険性のある事業者団体。ただし,相互扶助を目的とする協同組合は,不当な対価引上げにならない限り,適用除外となる(独禁法22条)。中小企業等協同組合法による協同組合がその典型です。

 労働者協同組合法は,独禁法の例外というルートから行くのではなく,労働法の例外というルートで行くのでしょう。そうせざるを得ないのは,労働者協同組合の組合員は,客観的にみれば使用従属下で働く労働者となってしまうからです。

 しかしここで議論は,先ほどの論点に戻ることになります。労働法は,働く人がどのような事業に使用されるかによって,適用を分けることができないか,という論点です。公共性や非営利性といった一定の要件を満たす事業は,労働法の適用を除外することにしたらどうでしょうか(適用除外事業に使用されているから,労働者には該当しないという解釈です[労働基準法9条を参照])。もちろん,適用除外だけして,そのまま放置してはいけません。同時に,働き方に中立的なセーフティネットはどういうものか,ということを考えなければならないのです。この最後の点になると,私が『会社員が消える』でも扱った雇用労働者にもフリーの個人自営業者にも共通の公助の構築を,という議論につながってきます。こういう視点で,労働法や社会保障法を再構築し,さらに経済法や民法・会社法を巻き込んでいくというのが,これから私たちがやっていかなければならない研究テーマです。そしてこれが,ジュリストの最新号の拙稿「雇われない働き方」でも述べた,「労働法のディスラプション」なのです。

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