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2019年3月31日 (日)

改元について思う

 世間では,「平成最後の○○」というフレーズが乱舞しています。元号が変わることに,何か新しさを感じている人が多いようです。私は,個人的には改元にまったく関心はないですし,むしろ元号が変わるのは困るのです。すでにいまでも,平成○○年の数字と西暦の下2桁とを混同することが多いのに,これが新しい元号になったら,もうパニックになりそうです。そう感じている人は,少なくないのではないでしょうか。
 昭和が長かったし,平成も30年も続いたので,改元の弊害は実感しにくいかもしれませんが,もし今後,天皇の在位期間が短くなり(生前退位もありうるので),頻繁に元号が変わるようになると,困ったことが出てこないでしょうか。歴史文献をみるとき,元号しか書いていないものもあって,それがいつ頃のことかさっぱりわからないということもありました。私の教養不足ということかもしれませんが,不便です。
 ということで,改元は自由にやってもらっていいのですが,せめて公式文書に元号を使うのをやめてもらえないでしょうかね。判決も西暦にしてほしいです。私は,自分の書くものについては,出版社の編集方針に反しないかぎり,これからはできるだけ西暦を使っていきたいと思っています。日本人なんだから西暦じゃないだろうというのなら,せめて皇紀でやってくれ,と言いたい気分ですが,それはそっち系の方が喜ぶだけなのでやめておいて,グローバル時代なのですから,まあ西暦でよいでしょう。
 元号は,天皇が武士に政治的な権限を奪われた後も,暦の制定と官位の授与と並んで,天皇の対外的な権限として残されていました。明治になってから,旧皇室典範では,「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」とされ,天皇の即位(践祚)により元号が制定されることになっていましたが,戦後の皇室典範の改正により,その条文が消えてしまい,1979年に元号法が制定されたときに,あっさりと「1 元号は、政令で定める。 2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」という内容となりました。政令で定めるので,これは憲法の定める内閣の所管事務となり(736号),天皇が関わるのは,政令の公布の場面だけとなるようです(これは,天皇の国事行為です。71号)。
 改元が,いまや内閣の行事のようになり,故小渕首相の官房長官時代の元号発表があまりにも印象的だったこともあり,今回も首相や官房長官は,新元号の発表を格好のアピールの場として使いたそうな感じです(などと言うのは勘繰りすぎでしょうか)。なんとなく天皇を政治的に利用しているように思えてしまうのは,私だけでしょうか。
 「天皇は国政に関する権能を有しない」となっているので(41項),内閣がやるのだということでしょうが,元号と国政の関係はよくわかりませんし,少なくとも天皇が「おことば」を発したり,災害見舞いなどのための行幸をしたりすることは,国事行為として列挙されていないものの,実際には行われています。こうした「象徴としての行為」(公的行為)は,内閣のコントロール下にあれば認められるというのが,憲法学で有力な見解のようです。それだった新元号は,(現天皇による)政令の公布だけでなく,国民への公表も,新天皇が,即位時の「おことば」と同じときに,内閣の助言と承認の下にやってよい,という考え方は出てこないのでしょうかね。これは,憲法の解釈として,やはり無理なのでしょうかね(普通に考えると,天皇にそういうことをやらせることこそ,政治利用だということかもしれないのですが)。
 ところで,天皇の権限といえば,暦もありました。織田信長の本能寺の変の背景には,信長が改暦を迫ったという事情があるという話もあります。天皇の大権に触れようとしたからではないか,ということです。明智光秀は朝廷との関係が深かったので,朝廷側の人間が光秀に信長暗殺を命じたという俗説です。
 現在,私たちはグレゴリオ暦(太陽暦)で,すっかり満足しているのですが,でも旧暦は悪くないのです。季節感を味わうなら旧暦のほうがいいはずです。桃の節句は33日ですが,これは旧暦なので,桃の花は咲かないです。新暦にすると,今年でいえば47日ですよね。こういう伝統行事(なんとかの節句とか,正月とか)は,旧暦でやるのも悪くないと思うのですが(中国がそうですよね)。
 改元も改暦も天皇制と密接に関係しています。平成が終わろうとしているいま,日本人は天皇に,どのようなことを託してきたのかを振り返ってみるのも悪くないでしょう。

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