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2019年3月11日 (月)

奴隷

 雇用の歴史というものを考えていくと,奴隷の問題に行きつきます。現在の日本の労働法研究者で,奴隷のことを研究している人は,まずいないでしょう。奴隷制が克服され,労働者がひとまず「ヒト」として尊重される近代社会が到来した後の,契約関係に基づく従属性にどう対処するかが労働法の課題とされてきたからです。そのためもあって,海外から指摘されることの多い外国人技能実習生の奴隷的な就労の問題についても,もちろんそれが問題ではないと考える労働法研究者は皆無だと思いますが,ただ,どことなく労働法の問題というよりも,より広い人権問題(あえていうなら憲法の領域)と考えている人が多いのではないかと思います。
 日本国憲法の18条は奴隷的拘束や意に反する苦役に服さない自由を保障しています。英文では,奴隷的拘束は,slavery ではなく,bondage という即物的な表現が使われており,また意に反する苦役はinvoluntary servitudeです。18条は,通常,労働法に関連する規定とは考えられていません(もちろん労基法5条には関係しているのですが)。一方,労働法に関係すると考えられている憲法27条や28条の「勤労」や「勤労者」には,英文では,work やworker という言葉が使われています。労働法学者は,「奴隷」問題は憲法に任せ,27条1項・2項や28条が扱う「勤労」のみを引き受けようとしたのかもしれません(27条3項の児童の酷使の禁止も,奴隷と同様,労基法には若干の規制はあるものの,一般には労働法の対象ではなく,こちらは児童福祉の分野に任されています)。
 ところで,アメリカにとって,日本国憲法18条に相当する修正第13条は,歴史的にも,とても重要な条文です。その第1項は,「Neither slavery nor involuntary servitude, except as a punishment for crime whereof the party shall have been duly convinced, shall exist within the United States, or any place subject to the their jurisdiction」です。日本の憲法18条とほぼ同じで,ただアメリカではbondage ではなく,slavery という単語を使っています。これは,アメリカではslaveryが制度化されていたことと関係しているようです。
 アメリカは,イギリスからの隷属に抵抗して1776年に独立した国です。アメリカの独立には,イギリスの有名なLocke(ロック)の思想が大きく影響しています。ロックの議論(『統治に関する二論』)は,王権神授説を論駁し,人々は神の下にみな平等であり,どのような権力(power)にも服さない自由があるとして,「slavery」を否定し(Essay2のChapter4),その後に有名なproperty 論が展開され,生命・自由・propertyを守るための政府(政治的社会)が社会契約により正当化されるという議論につながっていくのですが,どうしてこの考え方をアメリカ人は奴隷にあてはめなかったのでしょうか。イギリス国王への隷属を批判したアメリカ人が,自身で奴隷をもつことは,どう正当化できたのでしょうか。
 このあまりにも当然の疑問について,正面から取り組んだ論文があります。山口浩一郎先生の古希記念論集「友愛と法」(2007年,信山社)のなかに収録されている浜田冨士郎先生の「アメリカ独立革命と奴隷制」です。長年,アメリカ法や差別禁止法を研究されてきた浜田先生は,この原点の問題に取り組まざるを得なかったのでしょう。研究者というのは,こういうテーマにこそ取り組まなければならないのだということを痛感させられる論文です。浜田先生は,アメリカ憲法の歴史的価値を肯定する一方で,建国のエリートが奴隷制に対する安易な妥協をしたことについて厳しく批判します。アメリカは独立期には,真に欲すれば奴隷制を廃棄することができたのに,奴隷制に対する鈍感さや同情心の欠如により,あるいは直面する労を惜しんで奴隷制を温存させたという浜田先生の指摘は,辛辣で重いものです。
 自由と平等という建国の理念を掲げながらも,アメリカは奴隷制をその後90年近く存続させ,南北戦争というアメリカの歴史のなかの唯一の内戦を経て,ようやく解放に至ったという事実(Lincolnの奴隷解放宣言は1862年,合衆国憲法の第13修正は1865年)は,たんにアメリカのもつ矛盾という次元だけで捉えきれない教訓を残してくれているように思えます。
 アメリカは,奴隷は解放したものの,その後も黒人を差別し続けました。人種差別を禁止する公民権法が制定されたのは1964年です。さらに100年かかったのです。人種差別を禁止するという土台に,性,年齢,障害による差別の禁止も乗っていきました。差別禁止法の根源には,遠くアフリカなどから労働力として連れてこられ,物(動産)として扱われていた奴隷の深い悲しみと絶望があることを感じざるを得ません。法律家はついつい制度の表面的な理解にばかり目が行ってしまいますが,制度の深奥部にある人間の愚行の歴史にまで入り込んでいかなければ,真の理解には到達しないのではないか,浜田先生の研究から,改めて,こんなことを考えさせられました。

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