« 日経新聞は労働時間のことを書かない方がよいのでは? | トップページ | コンビニ加盟店のユニオンの団体交渉 »

2019年2月25日 (月)

ダウンロード違法の拡大化の動きについて思う

 日本経済新聞の221日の朝刊に,同僚の木下昌彦准教授が,「私見卓見」で「ダウンロード違法性,判断は慎重に」という記事を投稿していました。同紙の220日の「真相深層」でも,「著作権侵害「悪質」の境目は 海賊版ダウンロード,全て違法」という見出しで,このテーマが詳しく解説されていました。

 この記事でも紹介されていたのが,213日の「文化審議会著作権分科会」の会議です。そこで激論が戦わされ(議論の状況はネットでも読めます),報告書が提出され,これに対して,同月19日に,知的財産権法の重鎮である中山信弘先生(大学で講義を拝聴しました)らが呼びかけ人となって,報告書に懸念を表明する「『ダウンロード違法化の対象範囲の見直し』に関する研究声明」が出されるなど,この問題は,知的財産法の学界を揺るがすような大きな騒動になりつつあります。
 そこで興味をもって議論を少したどったのですが,注目されたのが,分科会の下にあった「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会(第8回)」(125日)での激論でした。これまた同僚の前田健准教授が委員であり,激しく大渕哲也東大教授と論戦を繰り広げていました。また213日の分科会では,田村善之北海道大学教授は,違法ダウンロードとされる範囲を有償著作物等に限定することが必要であるとしたうえで,「著作権法学者でこういった考え方に共同歩調を取っていないのは,あえて申し上げますと,主査の茶園委員と大渕委員だけということで,それなりの著作権法に詳しいと自称している者の間では,むしろこちらの見解の方が強いということはお踏まえいただければと思います」と述べ,小委員会の主査(茶園成樹教授)と主査代理(大渕教授)を名指しにして,その段階での報告書案への違和感を示しています。かつて同僚であった井上由里子一橋大学教授もマイルドながらも強い危機感を匂わせる発言をしています。そして木下さんが,日経新聞に寄稿して,援護射撃という感じです。

 私のよく知る信頼できる研究者がこれだけ反対するのですから,これは何事かと思わざるをえません。問題は,著作権法301項を改正して,現在許されている私的領域での著作物の複製の範囲を狭め,刑事罰(同法1191項)の範囲を広げようとすることです。もう少し言うと,2009年改正で,これまで許されていた著作物の私的使用について,音楽や映像のダウンロードを違法と知りながら行うことが禁止されることになりました。そして2012年改正で,それが刑事罰の対象とされました。それを,今回,音楽や映像だけでなく,規制の対象を著作物全般にまで広げ,民事上も刑事上も音楽や映像と同じように扱う方向に改正(改悪?)がされようとしているのです。

 今回の法改正の背景には,「漫画村」という漫画の海賊版がアップされているサイトへの対策がありました。他人の著作物を勝手にアップするのはもともと違法ですが,「漫画村」のサイト運営者は,自分で著作物をアップしたものではないという主張だったようです。今回の動きは,サイト側への規制が難しいので(漫画村はもうないようですが),ダウンロードをする側のほうに規制の網をかけようということなのでしょう。効果的なサイトブロッキングという手法は,通信の秘密(憲法212項)を侵す可能性もあるので,よりマイルドな手段がないかということなのでしょう。

 木下さんたちは,今回の規制対象の拡大について,「立法事実」の議論が十分にされていないのではないかという点を批判しています。たとえば田村さんは,213日の分科会で,「立法事実として,確かに海賊版対策ということで,漫画等やソフトウエアなどの有償著作物については喫緊の課題であるということが再三示されておりまして,それは私も十分理解できます。その必要性は認めるとしても,それを超えて幅広く全ての著作物について今回の規制の拡大が必要である,そういうことを示す立法事実はいまだに示されていない。」と発言されています。前田さんも,125日の小委員会で,「今なぜ海賊版サイトとは直接関係のない範囲にまで刑事罰範囲を拡大する必要性があるのか,あるいは萎縮効果や,将来国民の文化的活動についてどのような影響があるのかについて,正確な資料に基づく立法事実に裏づけられた検討が不十分と言わざるを得ないと思います」と発言されています。

 一方,こうした事実をめぐる議論に対して,大渕さんも対抗しています。もともと違法なものだから,それをダウンロードすることも規制されるのは当然であって,むしろこれまで私的使用が広く認められすぎていたのであり,これを当然のラインに戻すのである,あるいは,音楽や映像が先行して規制されたのは,別にその他のものを許す趣旨ではなかったのであり,今回音楽や映像以外にも当然の規制を及ぼすことになったにすぎない,という趣旨のことを述べています。

 国民への萎縮効果については,213日の分科会で,森田宏樹東大教授が,(大渕さんの発言を受けて)「違法であることを認識しながらダウンロードをするのはけしからんというわけでありますが,無限定な対象の拡大に対して慎重意見を述べる立場というのは,違法と適法の間にはいろいろな広いグレーゾーンがあって,これは神様の目から見れば違法・適法が定まっているのかもしれない,あるいは裁判になればそこで白黒が付けられるかもしれないけれども,一般の人が利用行為するときにはその判断が付きかねる場合が少なくないという点を問題としているわけでして、そこに議論のズレがあります」,「盗品かどうか分からないというときに利用者はどのような行動を取ることになるのかというのがここでの問題で,国民一般の自由の過度の萎縮をもたらさないようにしなければいけないということに留意する必要があります」という発言は,私にはきわめて説得力がある主張のように思えました。

 著作権を守るということは大切としても,そもそも著作権は絶対的なものではありません。「著作者等の権利の保護を図り,もつて文化の発展に寄与すること」が著作権法の目的です。いま著作者側からも,今回の規制は,文化の発展に有害ではないかという声が上がっていることからすると,「盗品を盗品と知って買った者は罰せられるでしょう」(刑法256条の盗品等関与罪。かつての贓物罪を参照)というたぐいの説明だけでは,ちょっと説得力が足りないかなという気もします。

 もっとも,規制拡大反対論のメッセージが,著作物に対するリスペクトを損なうようなことにつながってはいけません。この点は規制強化の意見にも耳を傾ける必要はあります。国民はいまや著作者でもあり,また利用者でもあるという状況です。他人のモノの利用に甘く,自分のモノの権利の侵害には厳しいということではいけません。いずれにせよ,国民が冷静に議論をするためにも,著作権法の下で何が違法かということについて,もっと学ぶ必要があり,それがあってはじめて何を違法とすべきかという立法論も議論できるのではないかと思います(私も,著作者として,もっと勉強しなければなりません)。

 でも実は私が本当に書きたかったことは,このことではないのです。憲法学者の木下さんは書いていませんでしたが,この改正の動きって言論統制に使われることにならないのか,ということです。ネット上で意見のやりとりをし,その際に他人の言論を保存したり,あるいは貼り付けたりするのは,今日では普通のことです。なかには,引用のルールが守られていないような言論があるかもしれません。結果,ダウンロードしたものに違法なものが混入するかもしれないのです。違法であることを知らなければ罰せられませんし,現在の検討案では,過失により知らない場合も免責されるようですが,それにしても当局から,おまえは知っていたのではないか,という疑いをかけられる危険性があります。戦前ならいざしらず,現代社会の日常的な言論は,(名誉毀損などの場合を除き)そう簡単には違法の範疇に入りませんが,違法コンテンツの複製というのが規制対象になると,なんだか刑事罰がとても身近に迫ってくる感じがして不気味です。国民は,著作権法をそれほどケアしながらでなければ発言してはならないのでしょうか。新しい規制は,言論の自由に対する過剰な制約にならないでしょうか。これは為政者を批判するような政治的言論の自由という民主制の根幹を揺るがすことにならないでしょうか。

 漫画村的なものをやっつければよいことだけだったのに,政府がこれを口実に短期間の議論で(小委員会にしろ,分科会にしろ,議事録をみたかぎり,十分に議論を尽くされたとは思えません),規制範囲を無用に拡大し,国民の言論領域に介入しようとしているとするならば,これは大変恐ろしいことです(私が最近関心をもっている立法政策過程論という観点からも,政府,役所,審議会の関係を考えるうえでの興味深い素材を提供してくれています)。知的財産法の研究者だけに戦わせていてはいけないのかもしれません。

 これが私の取り越し苦労であればよいのですが・・・。でも,こういうことに反応して危険の芽を少しでも摘んでいくことこそ人権論なのだと思います。人権というと,世間では,マイノリティの保護とか,そういう話になりがちです。それが大切なのは当然なのですが,マジョリティの国民が,統治権力に飲み込まれることこそ本当の恐怖であるという感覚をもつのもまた人権論なのです。

« 日経新聞は労働時間のことを書かない方がよいのでは? | トップページ | コンビニ加盟店のユニオンの団体交渉 »

法律」カテゴリの記事