« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月の記事

2019年2月27日 (水)

コンビニ加盟店のユニオンの団体交渉

 セブン-イレブン・ジャパンで,24時間営業の契約に違反した加盟店が多額の違約金を請求されたことが話題になっています。もともと24時間営業をしなくてもいいじゃないかと思っていたのですが,本社側は契約違反ということで,厳しい対応をしようとしているようです。契約でそういうことが書いてあるのなら仕方ないことになりそうですが,これが交渉の余地がないような約款だとどうかということもあります(改正民法の世界です)。またこれは労働契約ではなく,商取引とはいえ,優越的地位を利用して,正常な商慣習に照らして不当に,不利益となる取引条件を設定していたとすれば,独禁法上の問題にはなりうるはずです。まあそれは経済法の専門家に任せるとして,今回,コンビニ加盟店のユニオンが,本社に「団体交渉」を申し込んだということで,こうなるとこれは労働法の問題となってきます。
 コンビニ加盟店は自営業者のはずですが,法的な意味での団体交渉を申し込めるのは,労働者の団体である労働組合だけであるので,自営業者は労働者か,という「なぞなぞ」のような問いが出てくるのです。労働委員会レベルでは,すでにコンビニ加盟店のオーナーは,労働組合法上の労働者であるという判断が出ていて(https://www.mhlw.go.jp/churoi/meirei_db/mei/m11368.html,https://www.mhlw.go.jp/churoi/meirei_db/mei/m11486.html),これで本当に大丈夫かということが,労働法学のなかでは一つのホットイシューになっています。最終的には最高裁の判断が待たれるところですが,それまではまだ時間がかかるでしょう。
 私は『会社員が消える』(文春新書)で少しだけこの問題を論じていますが,個人的には,フリーの個人自営業者も団体を作って自分たちの職業上の利益を守って活動することが許されるべきという考えをベースに,立法上の手当が必要だと思っています。現状では,労働組合なのか,もし価格交渉などをやっているとカルテルになりかねない事業者団体なのか,といった問題が出てきます。
 コンビニのオーナーは,これまでも人的従属性はないが,労働者よりも経済的従属性があるという例としてよく出されています。要するに雇用労働者はローリスク・ローリターンだけれど,コンビニのオーナーはハイリスク・ローリターンではないのか,ということです。前者が保護されて,後者が放置されていいのか,ということです。
 コンビニのオーナーにも成功している人がいるかもしれません。ハイリターンを狙えるのなら,ハイリスクであっても仕方ないのです。ただ現状の多くはそうでないとしたら,どうでしょうか。そういうなかで,今回,契約条項の問題が出てきたのです。労働契約ではないし,民法の公序良俗違反とまではいえないとすれば,自力で契約条項を変えていくしかないのですが,そこで団体交渉という労働法的な手段が使えるかが問題となるのです。団体交渉となると,それを正当な理由なしに拒否すると不当労働行為となるので,強制的に相手を交渉のテーブルに引っ張り出せます。不当労働行為となると,労働委員会という行政機関から団体交渉に応じなさいという命令が出されます。これは労働組合の行う団体交渉の最大のメリットです。
 運動論としては,別のコンビニ店での前記のような労働委員会の命令もすでにあるので,団体交渉を申し込んでガンガンやることになるでしょう。本社側も任意で団体交渉に応じるかもしれません。ただそれを団体交渉と認めれば影響が大きすぎるということで,協議や話し合いという形にしてくれないかという要望を出してくるかもしれません(「団体交渉」か「協議」かの違いは,法的には大きく,今後にも影響します)。団体交渉ができるとなると,ストライキもできます。ストライキは,収入が入ってこなくなるので,自分の首を絞める可能性もありますが,大同団結してストライキをすれば,肉を切らして骨を断つ的な戦法となり,本社もきついかもしれません。またストライキというのは,世論を味方につけることも重要なのですが,現時点では,世論はどうもコンビニ加盟店支持のような感じがします(労働委員会は,争議行為が生じる虞があるとなれば,労働関係調整法による斡旋の申請が来るかもしれませんので,そのときにどうするかも考えておいたほうがよいです)。
 ただ研究者的には,運動論とはひとまず距離を置いて,理論的に,前述のように,自営業者の団体というものをどう整理すべきかを考えるときに来ていると思います。最近,私のところの大学院生が,このテーマで修士論文を書いて,先日審査を終えたばかりです。その結果はさておき,フリーワーカーに関心をもっている私としては,アルバイトを雇用するなど使用者的な要素もあるコンビニの店長は直接的には検討対象としていないものの,これは理論的にはフリーワーカーの団結と同じ問題があり,労働法と経済法にまたがる重要論点としてしっかり研究していきたいと思っています。

2019年2月25日 (月)

ダウンロード違法の拡大化の動きについて思う

 日本経済新聞の221日の朝刊に,同僚の木下昌彦准教授が,「私見卓見」で「ダウンロード違法性,判断は慎重に」という記事を投稿していました。同紙の220日の「真相深層」でも,「著作権侵害「悪質」の境目は 海賊版ダウンロード,全て違法」という見出しで,このテーマが詳しく解説されていました。

 この記事でも紹介されていたのが,213日の「文化審議会著作権分科会」の会議です。そこで激論が戦わされ(議論の状況はネットでも読めます),報告書が提出され,これに対して,同月19日に,知的財産権法の重鎮である中山信弘先生(大学で講義を拝聴しました)らが呼びかけ人となって,報告書に懸念を表明する「『ダウンロード違法化の対象範囲の見直し』に関する研究声明」が出されるなど,この問題は,知的財産法の学界を揺るがすような大きな騒動になりつつあります。
 そこで興味をもって議論を少したどったのですが,注目されたのが,分科会の下にあった「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会(第8回)」(125日)での激論でした。これまた同僚の前田健准教授が委員であり,激しく大渕哲也東大教授と論戦を繰り広げていました。また213日の分科会では,田村善之北海道大学教授は,違法ダウンロードとされる範囲を有償著作物等に限定することが必要であるとしたうえで,「著作権法学者でこういった考え方に共同歩調を取っていないのは,あえて申し上げますと,主査の茶園委員と大渕委員だけということで,それなりの著作権法に詳しいと自称している者の間では,むしろこちらの見解の方が強いということはお踏まえいただければと思います」と述べ,小委員会の主査(茶園成樹教授)と主査代理(大渕教授)を名指しにして,その段階での報告書案への違和感を示しています。かつて同僚であった井上由里子一橋大学教授もマイルドながらも強い危機感を匂わせる発言をしています。そして木下さんが,日経新聞に寄稿して,援護射撃という感じです。

 私のよく知る信頼できる研究者がこれだけ反対するのですから,これは何事かと思わざるをえません。問題は,著作権法301項を改正して,現在許されている私的領域での著作物の複製の範囲を狭め,刑事罰(同法1191項)の範囲を広げようとすることです。もう少し言うと,2009年改正で,これまで許されていた著作物の私的使用について,音楽や映像のダウンロードを違法と知りながら行うことが禁止されることになりました。そして2012年改正で,それが刑事罰の対象とされました。それを,今回,音楽や映像だけでなく,規制の対象を著作物全般にまで広げ,民事上も刑事上も音楽や映像と同じように扱う方向に改正(改悪?)がされようとしているのです。

 今回の法改正の背景には,「漫画村」という漫画の海賊版がアップされているサイトへの対策がありました。他人の著作物を勝手にアップするのはもともと違法ですが,「漫画村」のサイト運営者は,自分で著作物をアップしたものではないという主張だったようです。今回の動きは,サイト側への規制が難しいので(漫画村はもうないようですが),ダウンロードをする側のほうに規制の網をかけようということなのでしょう。効果的なサイトブロッキングという手法は,通信の秘密(憲法212項)を侵す可能性もあるので,よりマイルドな手段がないかということなのでしょう。

 木下さんたちは,今回の規制対象の拡大について,「立法事実」の議論が十分にされていないのではないかという点を批判しています。たとえば田村さんは,213日の分科会で,「立法事実として,確かに海賊版対策ということで,漫画等やソフトウエアなどの有償著作物については喫緊の課題であるということが再三示されておりまして,それは私も十分理解できます。その必要性は認めるとしても,それを超えて幅広く全ての著作物について今回の規制の拡大が必要である,そういうことを示す立法事実はいまだに示されていない。」と発言されています。前田さんも,125日の小委員会で,「今なぜ海賊版サイトとは直接関係のない範囲にまで刑事罰範囲を拡大する必要性があるのか,あるいは萎縮効果や,将来国民の文化的活動についてどのような影響があるのかについて,正確な資料に基づく立法事実に裏づけられた検討が不十分と言わざるを得ないと思います」と発言されています。

 一方,こうした事実をめぐる議論に対して,大渕さんも対抗しています。もともと違法なものだから,それをダウンロードすることも規制されるのは当然であって,むしろこれまで私的使用が広く認められすぎていたのであり,これを当然のラインに戻すのである,あるいは,音楽や映像が先行して規制されたのは,別にその他のものを許す趣旨ではなかったのであり,今回音楽や映像以外にも当然の規制を及ぼすことになったにすぎない,という趣旨のことを述べています。

 国民への萎縮効果については,213日の分科会で,森田宏樹東大教授が,(大渕さんの発言を受けて)「違法であることを認識しながらダウンロードをするのはけしからんというわけでありますが,無限定な対象の拡大に対して慎重意見を述べる立場というのは,違法と適法の間にはいろいろな広いグレーゾーンがあって,これは神様の目から見れば違法・適法が定まっているのかもしれない,あるいは裁判になればそこで白黒が付けられるかもしれないけれども,一般の人が利用行為するときにはその判断が付きかねる場合が少なくないという点を問題としているわけでして、そこに議論のズレがあります」,「盗品かどうか分からないというときに利用者はどのような行動を取ることになるのかというのがここでの問題で,国民一般の自由の過度の萎縮をもたらさないようにしなければいけないということに留意する必要があります」という発言は,私にはきわめて説得力がある主張のように思えました。

 著作権を守るということは大切としても,そもそも著作権は絶対的なものではありません。「著作者等の権利の保護を図り,もつて文化の発展に寄与すること」が著作権法の目的です。いま著作者側からも,今回の規制は,文化の発展に有害ではないかという声が上がっていることからすると,「盗品を盗品と知って買った者は罰せられるでしょう」(刑法256条の盗品等関与罪。かつての贓物罪を参照)というたぐいの説明だけでは,ちょっと説得力が足りないかなという気もします。

 もっとも,規制拡大反対論のメッセージが,著作物に対するリスペクトを損なうようなことにつながってはいけません。この点は規制強化の意見にも耳を傾ける必要はあります。国民はいまや著作者でもあり,また利用者でもあるという状況です。他人のモノの利用に甘く,自分のモノの権利の侵害には厳しいということではいけません。いずれにせよ,国民が冷静に議論をするためにも,著作権法の下で何が違法かということについて,もっと学ぶ必要があり,それがあってはじめて何を違法とすべきかという立法論も議論できるのではないかと思います(私も,著作者として,もっと勉強しなければなりません)。

 でも実は私が本当に書きたかったことは,このことではないのです。憲法学者の木下さんは書いていませんでしたが,この改正の動きって言論統制に使われることにならないのか,ということです。ネット上で意見のやりとりをし,その際に他人の言論を保存したり,あるいは貼り付けたりするのは,今日では普通のことです。なかには,引用のルールが守られていないような言論があるかもしれません。結果,ダウンロードしたものに違法なものが混入するかもしれないのです。違法であることを知らなければ罰せられませんし,現在の検討案では,過失により知らない場合も免責されるようですが,それにしても当局から,おまえは知っていたのではないか,という疑いをかけられる危険性があります。戦前ならいざしらず,現代社会の日常的な言論は,(名誉毀損などの場合を除き)そう簡単には違法の範疇に入りませんが,違法コンテンツの複製というのが規制対象になると,なんだか刑事罰がとても身近に迫ってくる感じがして不気味です。国民は,著作権法をそれほどケアしながらでなければ発言してはならないのでしょうか。新しい規制は,言論の自由に対する過剰な制約にならないでしょうか。これは為政者を批判するような政治的言論の自由という民主制の根幹を揺るがすことにならないでしょうか。

 漫画村的なものをやっつければよいことだけだったのに,政府がこれを口実に短期間の議論で(小委員会にしろ,分科会にしろ,議事録をみたかぎり,十分に議論を尽くされたとは思えません),規制範囲を無用に拡大し,国民の言論領域に介入しようとしているとするならば,これは大変恐ろしいことです(私が最近関心をもっている立法政策過程論という観点からも,政府,役所,審議会の関係を考えるうえでの興味深い素材を提供してくれています)。知的財産法の研究者だけに戦わせていてはいけないのかもしれません。

 これが私の取り越し苦労であればよいのですが・・・。でも,こういうことに反応して危険の芽を少しでも摘んでいくことこそ人権論なのだと思います。人権というと,世間では,マイノリティの保護とか,そういう話になりがちです。それが大切なのは当然なのですが,マジョリティの国民が,統治権力に飲み込まれることこそ本当の恐怖であるという感覚をもつのもまた人権論なのです。

2019年2月23日 (土)

日経新聞は労働時間のことを書かない方がよいのでは?

 スルーしようかなとも思いましたが,あまりにもヒドイ記事なので,購読者として批判させてもらいます

 222日の日本経済新聞の朝刊の「働き方進化論」という連載で「1部 突き抜ける職場(5) がむしゃらは許せるか」という記事が出ていました。読んでいたら,最後の締めが次のようになっていました。

 「4月から日本でも「脱時間給制度」が始まる。働き方改革の目玉の一つだが、米国の例を踏まえて要件を厳しくしたため、労使から評価が難しいとの声が上がり、あまり使われないとみる専門家もいる。

 労働基準法は賃金を働いた時間に応じて支払うよう定めている。戦前の工場法の流れをくみ、労働時間に比例して仕事の成果が出るという考え方に立つ。創造性や付加価値が求められる今、成果は必ずしも時間に比例しない。時間と切り離した新たな働き方の解への模索は続く。」

 例のごとく「脱時間給制度」という言葉を使っています。この記事では,アメリカのことを扱っていたので,「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉が出てきましたが,括弧をつけて「脱時間給制度」としています。意地でも「高度プロフェッショナル制度」という役所も他のメディアでも使っている言葉を使いません。これは,自分たちで決めたことは何が何でも変えないという組織の論理で,読者のことを考えていないものです。日本の役所の問題点などが,日本経済新聞にもあるということです。こういう組織目線の新聞の書いたものを信用できないのは,役所の言うことが信用できないのと同じです。

 その証拠に,「労働基準法は賃金を働いた時間に応じて支払うよう定めている。戦前の工場法の流れをくみ、労働時間に比例して仕事の成果が出るという考え方に立つ。」という目を疑いたくなるようなデタラメを書いています。労働基準法のどこに,そのようなことが書かれているのでしょうか。条文をみたことがあるのでしょうか。割増賃金の部分の話と本体の基本給の話を混同しているのは,何度も指摘したので繰り返しません。
 労働基準法は,「労働時間に比例して仕事の成果が出る」という考え方に立っているというのは,私は初めて聞きました。これを善意に解釈して,割増賃金のことだけを言ったとのだとしても,間違っています。割増賃金は長時間労働の補償として支払われているのです。それによって時間外労働が抑制させるという企業に対するペナルティ機能もあります。もし割増賃金のことを言うなら法定労働時間を超えて働かせた場合,労働時間に比例して労働者の疲労が高まるので,法定の割増賃金として,労働者に対する補償を企業に義務づけた,とでも書いてくれれば,まだ納得できました。

 これって,法律家の細かい指摘だというレベルではありません。根本がわかっていないということなのです。カネをとれるプロの仕事ではありません。しっかり勉強してから書いてください。

2019年2月22日 (金)

動かずに働く

 地方に住んでいると,出張はつきものです。神戸大学の教員も,重要な仕事は東京であることが多いので,出張に頻繁に行っています。私も若い頃は,週に1回くらいのペースで行っていたこともありました。金曜日には授業を入れないようにして,そこを出張日に当てていたこともありました。逆に東京の先生に聞くと地方に出張に行くことはほとんどなく,出張に対する感覚がずいぶんと違っているのに驚いたことがありました(出張をどことなく楽しみにしているようでした)。

 しかし,私自身はここ23年,出張をできるだけしないようにしています。そのため,断る仕事も増えています。役所関係では,霞ヶ関にまでやってこいという感じで,Skypeなどはまかりならんという態度のところがまだあります。2年ほど前のことですが,総務省のある会合でも,Skypeはダメということがありました(悪いジョークとしか思えません)。私はずっと腰痛をかかえていて(肥満が主たる原因なのですが),昨秋から右膝も少し痛めていて,新幹線や飛行機の長時間の移動はできるだけ避けることにしていますが,それ以上に,自宅から東京への往復だけで半日くらいかかり,身体への負担が大きいことも問題です。翌日がとくに辛いです。その補償が十分にあれば少しは考えますが(新幹線や飛行機の席をアップグレードしたり,日帰りせずに宿泊したりするための原資となりますので),そういうことにはなりません。

 ということで,まったく出張しないわけではないものの(たとえば,どうしても行ってみたいというようなところからの好条件でのオファーが来たりした場合),できるだけ動かないようにしていて,遠方からの仕事の依頼は,自宅から会議に参加することを希望するようにしています。一昨日は,東京でat Will Workが開催したイベントに「登壇」しましたが,それはSkypeによるものでした。この主催者はSkypeでの参加の希望をいうと,あっさり受けてくれました。事前の打ち合わせもSkypeです。さらに関連する取材もSkypeです。これだと日程調整も簡単で,仕事の効率化も図れます。こういうのが当たり前のようになってほしいです。

 今後は,講演,会議,イベント参加など,それまで物理的に集まってやっていたものも,オンラインで集まるのが普通になると思います。現状では,こちらから,「Skypeでの参加でよいですか」(別にSkypeでなくても,Zoomなどでもいいのですが)と,どことなく無理を頼むような感じで打診することになるのですが,そうでなく,自宅から参加することがデフォルトで,依頼者のほうが,「現地に来ますか」と問うような時代が来てほしいです。

 職場にしても同じです。大学も将来的にはすべてテレワークにすべきだと思っています。授業はオンラインで可能なはずですし,学生も自宅から授業に参加すればいいのです(学生が授業に参加しなくなるのではという懸念に対しては,学業に意欲のある者を選別できてよいという反論をしたいです)。研究や教育のために施設が必要な場合は別として,たんに講義をすることだけでいえば,大学に教師や学生が集まる必要性はなくなっています。

 人々が地域に根ざした生活をし,仕事のためにわざわざ移動するということができるだけない社会をいかにして実現するかが,これからの課題です。そのためには,私も身をもってテレワークで,できるだけ「動かない」で働くことを実践できればと思っています。5G時代が到来するなか,決してこれは夢物語ではないと思います(私の場合,これが肥満につながり,それゆえ「動けなくなる」という悪循環に陥る情けない話になっているのですが,これはテレワークが悪いのではなく,私の運動不足が悪いだけです)。

 「動かない」のは,場所的な問題だけでなく,個々人の「時間主権」の実現にもつながります。移動時の疲労やロスを減らすことが,可処分時間を増やします。そこであいた時間を,趣味ややりたい仕事や地域活動や家庭サービスなどに充てるというのが理想なのです。私が近著『会社員が消える』で,テレワーク推進をしたのも,こうした社会になると展望しているからです。「働き方改革」という以上,それくらいまでやらなければ意味がありません。まずは役所自体が真の意味での働き方改革をすること,また役所の会合はすべてオンラインでやり,出張を前提としない体制にする(あるいは出張が不要な東京近郊の人だけでやらないようにする)ことから始めてほしいものです。

2019年2月19日 (火)

西村あさひ法律事務所労働法グループの著作

 西村あさひ法律事務所労働法グループが,出版面でも,精力的に活動されています。先般は,森倫洋編集代表『モデル就業規則 和文・英文対照(第3版)』(中央経済社)をいただきました。日本で働く外国人が増えるなか,実務家にとっても,英語で説明する機会が増えているでしょうから,こうした本はたいへん参考になると思います。
 研究者の立場からすると,「労働契約」という言葉をどのように訳そうかというところで躓いてしまい,なかなか先に進まないのですが,実務的観点からは,そんなこだわりは無用で,きちんと伝わることのほうが重要です。
 ところで,この「労働契約」という言葉ですが,とても難しいです。この本では,employment agreementと訳されていますが,「Japanese Law Translation」のサイトでは,labor contractとなっていますね。労働契約法も,Labor Contracts Actです。そのほかにも,類似概念として,contract of employment,contract of laborもあります。さらに,contract of serviceだって,人によっては労働契約と訳すかもしれません。これに民法の雇用契約との違いなんてことを意識すると,泥沼にはまってしまいます。
 それはさておき,すでに研究者の書いた労働法の教科書の英語版は,Kanowitzによる菅野労働法の翻訳(Japanese Employment and Labor Law)と東大の荒木尚志さんの書き下ろしの力作”Labor and employment Law in Japan"が二大作品だと思います。これらも合わせ読んで,日本の労働法の国際化対応を進めていく必要がありますね。
 西村あさひ法律事務所労働法グループからは,もう一冊,菅野百合他編『働き方改革とこれからの時代の労働法』(商事法務)も,いただいておりました。こちらはタイトルどおりの内容で,第1編「長時間労働の是正」,第2編「日本的雇用システムの変化」,第3編「ワークライフバランスの実現」,第4編「ダイバーシティの実現」,第5編「これからの時代の労働法」という,非常に興味深い構成になっています。とくにシェアリング・エコノミー,テレワーク,病気治療と仕事の両立支援,外国人雇用,LGBT,AIといった旬のテーマが盛り込まれていて,目次をみるだけでも手に取りたくなるでしょう。
 こういう新しい分野は,実務家が先行して次々と法的分析をしていく時代になってきている感じがします。実務家が結集・分担して検討し,手際よくまとめて迅速に成果を発表していく時代なのでしょう。立法の時代が進んでいくと,こういう傾向はもっと強まるでしょう。研究者は,解釈論の領域なら優位を発揮できるかもしれませんが,解釈論の重要性が相対的に減ってくると,労働法の文献は実務家に席巻されるかもしれませんね。そういうなかでの研究者の存在意義は,深い考察に基づいた理論的貢献をすることになっていくのでしょう。 若手研究者には,陸続と現れる優秀な実務家に負けないように頑張ってもらいたいです。

2019年2月17日 (日)

横田明美『カフェパウゼで法学を-対話で見つける<学び方>』

  横田明美『カフェパウゼで法学を-対話で見つける<学び方>』(弘文堂)をいただきました。お礼が大変遅くなりましたが,ありがとうございます。

 著者とは直接の面識はありません(たぶん)が,弘文堂スクエア仲間であったこともあり,お名前は知っていました。どことなく拙著『貴女が知らなければならない55のワークルール-女子力アップのための労働法』(2013年,労働調査会)とよく似た作りの本で,親しみがもてました。

 内容は,まじめに法学部や法科大学院で勉強しようとする人に向けられたものです。大学に入ったときは,みんな勉強意欲があるのに,だんだんサークルの先輩などから,手の抜き方を教わり,単位のとりやすい先生の講義の情報の収集に走るようになっていくというパターンが多いのですが,この本のような,まじめに勉強する方向に優しく誘導してくれる指南書があれば,学生もずいぶんと変わるのではないかと思いました。

 この本のなかには私の本も登場します。58頁では,私の『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)を素材にして,レポート課題の説明がされています。

 また268頁のコラムでは,社会科学分野を横断するという観点から,私が編著者の一人になっている『エコノリーガル・スタディーのすすめー社会を見通す法学と経済学の複眼思考』(有斐閣)が紹介されていますし,さらに驚いたことに,川口大司さんと執筆した『法と経済で読みとく雇用の世界―これからの雇用政策を考えるー(新版)』(2014年,有斐閣)も,とりあげていただきました。ストーリーが教育に良くないと言うことで,教科書採用にためらう大学もあったということを聴いておりますが,千葉大学では活用してくださっているということで,感謝申し上げます。

 この本のなかで,私がとくに関心をもったのは,「第V部 自分の未来を作るには-進路編」です。なかでも「 社会を変えるには?法学を軸に,他分野にも橋をかけてみる」と「学んだ後はどうするの?自分の未来のつくりかた」が重要です。私は大学での法学教育不要論を唱えているのです(南野森編『法学の世界(新版)』(近刊)の労働法編を参照)が,法学の素養をもった人が社会に必要であるということは全く否定していません。その意味で,法学の素養をもった人が,社会でどう活躍していくかという実践的なところにまで目配りをしているこの本はとても興味深いものです。

 それに私の新刊『会社員が消える』(文春新書)では,自分で学び,キャリアを切り拓いていくことの重要性を説いていますが,横田さんのこの本も,結局,こうしたコンセプトなのだと思います。法学部不要論をと唱えているとはいえ,現実には法学部生はたくさんいるわけで,そうした人がどのようにしてプロ人材になれるかもまた,私たち法学教員は考えていかなければなりません。横田さんの本は,そういう観点からも,とても重要なものだと思います。

2019年2月16日 (土)

雇用仲介と手数料

 長文のブログです。テーマは,労働法のマイナーな論点です(司法試験には出ません)が,実務的には重要なものです。

 ビジネスガイドの最新号で「リファラル採用」を採り上げたのですが,そのなかで扱った法的論点の一つが,職業安定法40条の解釈です。リファラル採用は,社員紹介制といって,これまでも存在していたものの一種といえますが,最近,専門的な職種について,餅は餅屋というか,蛇の道は蛇というか,同じ業種の専門家のほうが良い知り合いの材を紹介してくれるし,あるいはそうした人材の見つけ方を知っているということがあって,こうしたリクルート方式が注目されています。これは,職安法の規制する「労働者の募集」に該当するかがまず問題となりますが,職安法上,「労働者の募集」は,「労働者を雇用しようとする者が,自ら又は他人に委託して,労働者となろうとする者に対し,その被用者となることを勧誘すること」であり(45項),これに該当することは間違いないでしょう。現在,「労働者の募集」をする活動について規制の対象とされているのは,被用者以外の者に有償で労働者の募集に従事させる「委託募集」です(36条)。委託募集は,他の雇用仲介サービスと違って,委託した企業のほうが厚生労働大臣の許可を得て,また報酬額について認可を得る必要がある点に特徴があります。職業紹介であれば,許可を得なければならないのは,その職業紹介業者のほうであって,求人の申込みをした企業ではないからです。無償の委託募集でも届出が必要です。

 「労働者の募集」におけるもう一つの規制は,報酬関係です。労働者の募集を行う者(企業)も,有償ないし無償の委託募集に従事する「募集受託者」も,募集に応じた労働者からの報酬を受領が禁止されています(39条)。そして,もう一つある規制が,労働者の募集を行う者(企業)が,労働者の募集に従事する被用者または募集受託者に対して,賃金,給料その他に準ずるもの,または認可された報酬以外の報酬を供与することの禁止です(40条)。

 従業員となる人を紹介した従業員が特別な報酬をもらうと,この職安法40条に反するのか,反さないとすれば,それはどのような場合か,ということが問題となります。ネットでは,あまり確かな根拠のない議論が流布していますが,今回の原稿で,試論を提示してみました。従業員が企業に業務として命じられた紹介活動は業務なので,それに対する賃金をもらうことに問題はないが,業務としてではなく命じられた紹介活動は,一般の委託募集と変わらない規制(許可制と報酬の認可制)を受けるべきではないか,というものです。業務として命じられた場合には,賃金(あるいは特別手当)をもらえる以外に,社会通念上それに要する時間は労働時間にカウントされるし,その途中でケガをした場合には労災になるという見解です。

 これは職安法をにらんで考えた試論にすぎないので,いろいろ反論もありえると思います。これをきっかけに議論が活性化すればよいと思います(事業として行う場合しか規制対象とならないとか,相当な手当であれば,業務として行うかどうかに関係なく規制対象外とならないとか,いろいろな見解がありえます)が,そもそも委託募集の規制がどうあるべきかというところからも議論をする必要があります。確かに立法論としては,誰かに何かを頼んだときに,常識的なお礼をする程度であれば,法は介入しないということはあってよいという気もするのですが,その一方で,労基法6条はなお重いものです。雇用の仲介にお金が絡むことには慎重であるべきだという趣旨は,ちょっと堅苦しい気もしますが,今日でも維持すべきなのでしょう。

 これとやや似ているのですが,区別したほうがよい話があります。労働者派遣法30条の雇用安定化措置の一つとしてある派遣先への直接雇用がなされた場合について,派遣元が職業紹介の許可も得ているとき,紹介手数料をとってはいけないという,厚生労働省のQA(下記)をめぐってです。規制改革会議で議論されているそうです(八代尚宏先生からうかがいました)。

 

Q4: 雇用安定措置の一つである「派遣先への直接雇用の依頼」を派遣会社に実施してもらったのですが、派遣先からは、派遣会社に職業紹介手数料を支払うことができないので直接雇用できない、と言われています。この場合、派遣先は派遣会社に対し、職業紹介手数料を支払わなければならないのでしょうか。
A4:「派遣先への直接雇用の依頼」は、職業安定法上の職業紹介ではないので、派遣先は同法上の職業紹介の手数料を支払う義務はありません。
また、派遣先は、正当な理由なく、派遣先と派遣労働者の間の雇用契約を実質的に制限するような金銭については、支払う義務はありません。
「派遣先への直接雇用の依頼」は、派遣会社が労働者派遣法に基づき講じなければならない雇用安定措置の一つであり、派遣労働者の雇用の安定を確保し、派遣先での直接雇用に結びつけることを目的としたものです。これは、職業安定法上の職業紹介ではないので、派遣先は同法上の職業紹介の手数料を支払う義務はありません。
また、派遣会社と派遣先との間で金銭の授受があることにより、「派遣先への直接雇用の依頼」が不調に終わることは、雇用安定措置の趣旨に反するおそれがあり、問題があります。
なお、「派遣先への直接雇用の依頼」に際して、派遣会社と派遣先との間で金銭の授受があることなどにより、派遣先と派遣労働者の間の雇用契約を実質的に制限することとなれば、実質的に労働者派遣法第33条第2項に違反することにもなり得ます。

 

 厚生労働省が,このような判断をした理由の第1は,労働者派遣法3011号でいう「派遣先に対し,特定有期雇用派遣労働者に対して労働契約の申込みをすることを求めること」(直接雇用の依頼)は職業紹介ではないこと,第2が,手数料をとることは,労働者派遣法332項の「派遣元事業主は,その雇用する派遣労働者に係る派遣先である者又は派遣先となろうとする者との間で,正当な理由がなく,その者が当該派遣労働者を当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用することを禁ずる旨の契約を締結してはならない」(派遣元による派遣先の雇用を制限する行為の禁止)という規定に実質的に違反すること,のようです。

 第1の根拠については,労働者派遣法301項の雇用安定措置上の義務の履行であることと,職業紹介であることとは両立しないのかが論点となります。私は,労働者派遣法が義務づけているのは,4つの雇用安定措置のオプションのうちの一つを講じることにすぎず,直接雇用の依頼そのものを義務づけているのではないこと,および,法が与えた4つのオプションのなかの一つを選択して行った行為が,職安法41項の定義する職業紹介(「求人及び求職の申込みを受け,求人者と求職者との間における雇用関係の成立をあっせんすること」)に該当するにもかかわらず,これを職業紹介に該当しないとするには,明確な根拠規定が必要と考えられるが,そうした規定は見当たらないことから,厚生労働省の見解には十分な理由がないと考えます。

 たしかに,法律上の直接的な義務の履行をしたのに手数料をもらうのはおかしいという考え方はありうると思いますが,労働者派遣法30条が派遣元に義務づけているのは,上述のように,4つのオプションのどれかにすぎません。そうだとすると,この規定は,派遣元に対して,手数料をとって職業紹介をして派遣人材を手放すか,それとも派遣人材を手放さないで派遣元で雇用を安定化する措置を講じるかの選択肢を与えた規定と解すのが妥当だと思います。

 第2の根拠については,直用化の際に派遣元と派遣先の間でかわされる契約は,手数料はとるが,派遣先での雇用を認めるという方向のものなので,33条の趣旨には実質的にも反しないし,むしろそれに沿ったものと考えられます。たしかに,手数料が高ければ,派遣先での雇用が進みにくいという事実上の影響はあるかもしれませんが,法的には,職業紹介に手数料を認める以上,そうした事実上の影響が出ることはやむを得ないことであり,しかも手数料は,職安法により規制されていることも考慮しなければなりません(32条の3)。

 また,派遣元が適法な範囲できちんと手数料をとれるようにすることは,派遣元から派遣先への労働者の移行をスムーズに進める効果が期待できるので望ましく,それこそが,労働者派遣法33条の趣旨に合致する解釈であると考えられます。

 上記の社員紹介制度の報酬とは逆の議論をしているように思えるかもしれませんが,派遣労働者の直用化は社員紹介の場合とは異なり,法律が仲介自体を求めているもので,望ましいとお墨付きを得ているものであり,労基法6条の世界とは無縁なものとみることができるので,結論が変わってくるのです。

 そもそも厚生労働省の解釈では,手数料が高いから直接雇用ができないといった口実で,無料で人材を確保しようとする派遣先企業を利することになることの問題性をしっかりみるべきだと思います。これまであれだけ批判の対象であった派遣先が,直接雇用をしてくれるとなると,ただちに善玉になり,派遣元に無料奉仕を強いるということにならないでしょうか。

 雇用仲介法の分野は,ほとんど研究者が手を出していません(教科書としては,鎌田耕一『概説労働市場法』(三省堂)があります)。規制緩和論として小嶌典明先生が長年,孤軍奮闘して論陣を張ってきましたが,それに続く研究者が出てきていないように思います。研究対象としてみれば,まだ豊富な宝が眠っている山かもしれませんよ。

2019年2月14日 (木)

会社員が消える

 新作が文春新書から出ます。『会社員が消える-働き方の未来図』です。メインタイトルはちょっと激しい文言ですが,新書で出す以上,この程度のものはありだと割り切っています(10年以上前に新潮新書から出した『どこまでやったらクビになるか』よりはマイルドでしょう)。内容は,昨年,労働新聞で連載した「雇用社会の未来予想図」をベースにしたもので,構成は大きく変え,また加筆もかなりしました。編集者からの最初のオファーは,労働時間関係のものだったのですが,それよりもこちらのほうが面白いのではないかと逆提案して,このテーマになりました。その結果,労働新聞で連載したものから大きく生まれ変わりました。編集者との二人三脚で,気持ちよく書き進めることができました。とくに本のなかでは謝辞を書いていませんが,この場を借りて,編集者の稲田さんには厚くお礼を申し上げます。

 コンセプトは,技術革新により,産業が変わり,企業も変わり,そして働き方も変わる,というものです。そして,新しい働き方に対応するうえで必要なのは,個人が自ら自分のキャリアを切り拓いていく力であり,政府は個人の自助を支えるために必要なサポートをしていかなければならない,というものです。これは,第一読者である稲田さんに向けたメッセージでもありました。決して未来が明るいとはいえないであろう出版業界の若き編集者に警鐘を鳴らし,問題意識をもってもらい,でもこういうようにやっていけば大丈夫だよという道筋も提示し,そして最後に自分の力が大切だよという発破もかけた,というところです。稲田さんに続く読者の皆さんが,どう受けとめてくれるかわかりませんが,共感するにせよ,反感をもつにせよ,それがどういうものであれ,自分のこれからのキャリアのことを真剣に考える一つの材料としてもらえれば,著者としてはそれで十分,執筆の目的は果たせたことになります。

 読者対象は,法律のことを何も知らない方を想定しているので,法律の話はほとんどでてきません。当初は条文名なども書いていて細々としたこだわりもしていたのですが,途中で書き直しているうちに,そうしたものをバッサリ切って(一部は解説で書いています),とにかく法律を何も知らないが,これからの働き方のことを考えたいと思っている人に,考える材料を提供するということを第一に考えました。読者として専門家の視線がちらつくと,どうしても些末な議論に入ってしまうのですが,そういうものは振り払いました。その点では,これまで書いた新書よりも徹底したものです(本文では引用した文献のみ挙げていて,専門書ではないので,巻末の参考文献などはつけていません。とはいえ,本書が多くの先人の知見の上に乗っかっていることは言うまでもありません)。

 ということで,本書は,弘文堂から2年前に出した『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』の一般の方向けバージョンです。あのときよりも,フリーの個人自営業者によりフォーカスをあてています。いま思えば20173月にフリーの研究元年と呼びかけたのですが,助走期間を経て,今年は本格的に研究展開のステップにしようと思っています。

 今月はジュリストにも「雇われない働き方」というエッセイが掲載されます(当初は論文を書こうと思ったのですが,執筆時期の私の脳がエッセイ風のものにしか対応できませんでした。同時にいろいろな執筆スタイルに切り替える力が,残念ながら弱ってきています。ただ,ジュリストなので,実務家の方に,問題意識をもってもらうためには,エッセイも悪くないと考えました)。またNIRAでもプロジェクトを開始しており,近いうちにキックオフ・ペーパーを発表し,今後はより具体的な政策提言にコミットしていくつもりです。

2019年2月12日 (火)

不適切動画投稿問題について思う

 アルバイトの不適切な動画投稿が話題です。会社が訴訟の提起も検討しているというニュースがネットで流れていました。食べ物をぞんざいに扱う見るに堪えない動画ですし,アルバイトたちの味方になるつもりは全くありませんが,だからといって会社がアルバイトに対して,民事訴訟で賠償請求することについては,「ちょっと待った」と言いたいところです。
 まず法的にみた場合,そもそも損害の立証が難しいこともありますが,労働法では,判例によって,会社から労働者への損害賠償責任を制限する法理があり,かりに損害が立証できたとしても大幅に減額されます。もちろん労働者に故意や重過失がある場合には,この法理は適用されないのが原則といえるのですが,他方で,会社の指揮監督下で働いている以上,そこで労働者が何かやらかしても,責任は会社にあるので,損害賠償請求などできないのではないかという考え方もあるところです(関連判例やその解説については,拙著『最新重要判例200労働法(第5版)』(2018年,弘文堂)の第12事件(茨石事件)に簡単にまとめています)。
 騒動の現場での詳しい就労状況はよくわかりませんが,仕事中にこんな悪ふざけができたり,それを動画でとったりすることができるような職場ってどうなっているんだ,というのが消費者の最初に抱く感想ではないでしょうか。アルバイトの人たちに怒りを感じるよりも,むしろ,そんなアルバイトの働き方を許してしまった会社のほうに怒りを感じるのではないでしょうか。そもそも,この動画って,会社の不祥事の内部告発的な意味もあるのではないかと思います(動機は公益目的ではなさそうなので,告発者自体を賞賛することはしませんが)。
 私は,常日頃,日本では,生活者(消費者)の論理が重視されすぎて,労働者の論理が軽視されることに問題があると言っているのです(たとえば拙著『雇用はなぜ壊れたのか』(ちくま新書)231頁以下も参照)が,これは会社が生活者に寄り添い過ぎて,労働者にしわ寄せが行っているという話です。しかし,今回の騒動の当事会社は,生活者に寄り添っているように思えません。労働者にも生活者にも寄り添っていないとなると,救いようがなくなります。
 会社が,アルバイト学生に民事訴訟を起こすのは勝手ですが,そんなことをしても,おそらく腕利きの労働弁護士が,ありとあらゆる知恵を働かせて,損害賠償責任制限の法理を主張してくるでしょう。とくに,会社が未熟な労働者を安い賃金で活用しながら,十分に管理してない状況で働かせていたなんていう事情がもしあれば,会社はほとんど損害賠償がとれない可能性があります(労働法上の損害賠償責任制限の法理を使うまでもなく,過失相殺などの一般の民法の法理も使えるかもしれません)。
 むしろ会社がやるべきことは,どうしたらこういうことが起こらないようにするかです。それに会社が労働者から損害賠償をとれてしまうと,会社には職場改善のインセンティブが出てこないことになり,そのほうがより大きな問題ともいえます。社員教育,労働者が誇りをもって働けるような職場の実現,そして適度のモニタリング(AIの活用余地もあります)など,こういうことに取り組むことこそ,会社が訴訟を起こす前にやることでしょう。
 余計なことかもしれませんが,社員への管理として,不祥事をすれば違約金をとるといった事前予防策を講じることは,労働基準法16条に違反する可能性があるので注意をしましょう。

2019年2月11日 (月)

山川隆一・渡辺弘編著『労働関係訴訟Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ』

  山川隆一・渡辺弘編著『労働関係訴訟Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ』(青林書院)を,山川先生から,いただきました。いつもどうもありがとうございます。裁判官を中心とした実務家が,労働法の主要テーマを一つずつ,掘り下げて検討し,自分なりの分析結果を書いたものを集めたものです。ずいぶん古い文献もあり,すでに私の頭では切り捨ててしまっていたようなものも参照されていて,たいへん勉強になりました((当時の?)進歩的な学者として,後藤清先生が登場しているのには驚きましたが)。裁判官の手によって,古き良き文献が掘り起こされたような気分です。私自身,ここのところ,ちょっと未来志向に走りすぎていたので,原点に戻れと諭されているような気分にもなりました。
 本書で採り上げられている各テーマは,冒頭に設問があり,それに答えるという形になっています。各テーマの書きぶりは個人に任せられているようであり,それぞれ個性があって良いと思いました。裁判例も豊富にとりこまれており,文献も豊富で,内容も手堅いので,研究者の半端なものを活用するよりは,こちらのほうが,演習書として活用するのにも適切ではないかと思いました。
 最近,私は,いかにしたら労働紛争が裁判沙汰になることを減らすことができるか,ということに関心をもっていて,判決よりも和解だという気持ちが強いのです(Pactum legem uincit et amor iudicium:合意は法律に,和解は判決に勝る)が,それはそれとしても,しっかり労働法を勉強している裁判官がいるというのは,心強いことです(もちろん裁判官も,和解をしっかりやってくれているのでしょうが)。

2019年2月10日 (日)

濱口桂一郎『日本の労働法政策』

  濱口桂一郎『日本の労働法政策』(労働政策研究・研修機構)をいただきました。
 どうもありがとうございました。 この本は,まさに菅野和夫先生が帯で書かれている「労働政策関係者の座右の書 日本の労働政策の歴史,基本思想,決定プロセス,体系,個々の制度内容,実施機構,等を余すところなく考察した労働政策の体系書。働き方改革関連法の深い理解のためにも必読。」という評価がぴったりのものです。
 そこでいう「労働政策関係者」に,研究者が含まれるのかわかりませんが,研究者にとっても,菅野和夫先生の教科書と並んで,座右において置かなければならない本でしょう。労働政策の形成過程は,近年の労働基準法改正や労働契約法の制定・改正くらいになると,かなりの情報もあるのですが,古い法律になると,立法の経緯がよくわからないところもたくさんあり,自分で調べていちおうこんなものだろうと思っても,自信がないことがよくあります。 この点,労働行政に精通されている濱口さんの書いたものであれば信頼性があるし,たいへん助かります。これからの研究は,個人で過去の立法政策を最初からたどる必要はなく,この本を出発点にできます。
 労働立法が,どういう社会的事情を背景に,どのように議論され,どのようなメンバーの委員で,どのように立案されてきたのか。今後は,こうしたこと自体が学問的な評価の対象となるのだろうと思います。立法政策学です。私がきわめてプリミティブなアプローチですが,昨年5月に「法律による労働契約締結強制-その妥当性の検討のための覚書き-」法律時報90巻7号7頁以下を執筆したのは,労働立法の政策決定過程そのものや,労働立法の事後評価も,アカデミックな検討の対象とすべきだという思いを示すためでした。立法政策学をアカデミックな分野にするためにもエビデンスが必要なのです。これまでだと,立法担当者の書いたものを読んだり,直接インタビューをしたりという手法が取られてきたのですが,ここまで精密にまとめられている本が出た以上,少なくとも労働法分野では,これ一冊で十分であると思われます。加えて,今後の政策課題が何かを考えるうえでも,この本が有用であることは間違いないでしょう。
 ところで私が,おそらく唯一,労働政策でかかわったことのある「働き方政策決定プロセス有識者会議」は,8行にまとめられていました(50頁)。あのとき自分自身は一委員としてそれなりに頑張ったつもりですが,不満も残る会議でした。いま振り返り,あのときのことが1000頁を超える大著のなかの8行に凝縮されており,不思議な感覚にとらわれています。歴史とはこういうことなのでしょう。 
  それはともかく,ちょっと調べたいことがあったので,索引をと思おうと,なんと索引がない!!!。若手を使えば作成できそうなものですが,それをさせなかったのは,上司として偉いと言うべきなのかもしれません。でも,この本には索引は必須でしょう。次の版で索引がつくのを祈っています。

2019年2月 9日 (土)

八田達夫・NIRA編『地方創生のための構造改革』

 八田達夫・NIRA総合研究開発機構共編『地方創生のための構造改革-独自の優位性を生かす戦略を』(時事通信社)をいただきました。いつも,ありがとうございます。この本の英語バージョンも,ありがとうございました(“Economic Challenges Facing Japan's Regional Areas”, Palgrave Macmillan(https://www.palgrave.com/gp/book/9789811071096))。
 本書の内容は,八田先生が「はしがき」で,きれいにまとめておられます。成長戦略としての地方創生のための具体的政策を提示することがこの本の目的です。サブタイトルにあるように,地方には独自の優位性があるはずですが,それを発揮できていないのには制度的な要因があるとし,規制改革と行政改革により,この要因を取り除かなければならないとするのです。
 規制改革については,農業,漁業,観光の3分野が,とりあげられています。どれも,既得権益をもっている団体や個人が,これらの産業の可能性を奪ってしまい,地方のもつポテンシャルを生かすことができていない,という問題があるようです。本書では,こうすればよいという具体的な提案も提示されており,せひ政府も検討してもらいたいものです。
 行政改革については,高齢化対応策,少子化対策,地方財政制度が,とりあげられています。ここでも,地方の自治体が,これらの対策をとれないのには,制度的な要因があるということが示されています。とくに少子化対策については,そもそも課題の設定が間違っているという重要な指摘もされています。東京圏への一極集中を止めることが,日本の人口減少の歯止めになる,というのは,事実誤認に基づく誤った政策であるというのです。東京圏の大都市の出生率は地方のいくつかの大都市に比べてかなり高い水準にある,というエビデンスをつきつけています。そうだとすると,若者が地方に移住しても,少子化は改善しないことになります。むしろ少子化対策として必要なのは,地方財政の改革であり,国が,各自治体に子育て支援の「モデル給付額」を支給し,自治体が子育て支援の財源負担をしなくて済むようにすればよいと提言されています。
 解雇の金銭解決に関して一緒にお仕事をしたときにも感じましたが,八田先生が経済学の理論モデルを使い,現実の制度の問題点を明らかにし,そして具体的な解決策を提示して政府を動かしていこうとする熱意には並々ならぬものがあります。頭脳のシャープさにには,先生よりもはるかに若い私でもついていけないくらいです。八田先生の情熱が,地方創生をめぐる政策の改善につながっていけばと願ってやみません。

2019年2月 7日 (木)

玄田有史編『30代の働く地図』

 玄田有史編『30代の働く地図』(岩波書店)をいただいておりました。どうもありがとうございます。

 30代の働く人に対して,これから生き生きと働くためには,どうすればよいかの道標となる情報を与えようとするのが本書の目的です。11のテーマで,それぞれの専門家が執筆しています。

 本書は,「ですます」調で書かれているので,一見,平易そうではありますが,内容はあまり簡単ではないなと思いました。まずは玄田さんの書かれた「序」と「結章」を先に読めばよいと思います。そこから興味をもった部分を,本文でしっかり読むというのが,専門的な知識のない一般の方にとっての,お勧めの読み方ではないかと思いました。

 30代というのは,確かに難しい年代だと思います。本書では直接的には扱われていませんが,AIのインパクトが直撃するのが,この世代です。働き方の常識が大きく変わります。玄田さんは職場の上司とのコミュニケーションの重要性を指摘していますが,会社のほうはその必要を強く感じていても,若者のほうからは,上司とのコミュニケーションなんて無理だよな,ということも多いでしょう。 

 だから,玄田さんも,会社や上司に頼らず自分でしっかりやっていくために,少しは政府の出したガイドラインとかを読んでおけよ,と言うのでしょうし,行政の相談窓口なども活用したらいいよ,ということになるのでしょう。ただ,現実には,ガイドラインは難しすぎるし,行政の相談窓口では,窓口のおじさんたちとのコミュニケーションがなかなか思うとおりにいかないことも多いでしょうが。

 いかにして信頼できるエキスパートを知り合いにもてるか,これが大切ですね。労働に関する情報は,ネット上に山ほどありますが,そのどこまでを信頼してよいか。それはちょうど自分が,労働以外の法律相談を受けたとき,どの弁護士を推薦したらよいかわからないとか,病気になったときに,どの医師のところに行けばいいかわからないとかと同じようなことでしょう。おそらく労働問題を抱えている人の多くは,どの情報が正しいか,あるいは誰に相談をするのが最も適切かわからず,頭を抱えているのではないかと思います。自分の悩みに答えてくれる信頼できる専門家をどのように見つけるかの道標を得ることが,生きていくうえで大切なことですね。その意味では,良い「つながり」を持っておくことが必要なのでしょう。

 本書の中身に戻って,私が注目したのは,第1章の佐藤博樹さんの書かれたところです。共感したのは,真の働き方改革は,「時間をかけた働き方を評価する職場風土の解消」と「時間意識の高い仕事の仕方への転換」にあるという指摘です。労働時間の規制が大切なのは誰も否定しないし,無駄な残業が駄目なのは誰も思っていることですが,どんなに法律が頑張っても,実際の会社には時間意識が希薄なことが多いのです。時間の問題は,法律マターにするのではなく,職場風土や意識の問題としてみるべきだというのが,本質をみた議論だと思います。

 体力もあり知力も向上の余地のある30代は,まだ可能性が大きく広がっています。仕事に無駄な時間を奪われないようにし,そして,自分の人生の戦略をしっかりと立てることが大切な年代です。本書は,そうした人たちにとっての,確かな道標になることでしょう。

2019年2月 6日 (水)

前川孝雄「『仕事を続けられる人』と『仕事を失う人』の習慣」

  少しずつ,ブログ休止中にいただいていた本のお礼を書いていきたいと思います。
 本棚のすぐ近くにあったのが,前川孝雄「『仕事を続けられる人』と『仕事を失う人』の習慣」(明日香出版社
)でした。いつも,どうもありがとうございます。
 本書は,「仕事を続けられる人は
○○をし,仕事を失う人は○○をする」というような,両タイプの人の習慣を対比する50のコラムからなっています。具体的なエピソードをちりばめながら,仕事を失わないようにするためには,どうすればよいかを説く実践的なビジネス書です。

 たとえば,第1章の「心構え・姿勢編」では,「仕事を続ける人は明日を想像し,失う人は昨日を後悔する」といった耳の痛いことが書かれています。ただ,これが「成功したければ,昨日を後悔するな」という書き方であれば,ちょっと反発したくなるのですが,「成功したければ,明日を想像せよ」というメッセージであれば,素直に聞き入れやすいのです。

 この本のよいところは,前川さんのキャラクターもあるのでしょうが,多くのビジネスパーソンに寄り添いながら,こうやったほうがいいよ,という声をかけてくれている感じのところです。しかも50もテーマがあり,かゆいところに手が届く丁寧さです(上記の第1章に続き,第2章は「仕事や役割の作り方編」,第3章は「周りを巻き込むコミュニケーション編」,第4章は「結果を出す生産性・成果の上げ方編」,第5章は「自己研鑽編」です)。

 私は,これからはフリーで個人で働く人の時代が来ると言っています。でもそうした働き方をするには,多少の実践的なノウハウが必要です。この本は,そうしたときのに役立つのではないかと思います。

2019年2月 3日 (日)

ミステリーを3冊

 ネタバレもあるので,要注意。
 高野和明『13階段』(講談社新書)。前にこの著者の『ジェノサイド』を読んで,第1期のブログで紹介したこともありました。死刑執行直前の男を冤罪から救おうとしているのが,過去に人を殺した経験のある刑務官と傷害致死罪で有罪となり仮釈放になっている二人の男。途中で真犯人がわかりそうでわからないスリリングな展開で一気に読めてしまいます。ここには,善良な保護司もいれば,悪徳保護司も出てくるし,さらに死刑を求刑したが再審請求に向けて尽力してくれる検察官,無責任な弁護士,無能な法務大臣,ことなかれ主義の高級官僚などが次々と登場し,同時に前科者と家族,親族を殺された犠牲者の家族の悲哀も描かれ,正義とはなにか,死刑とはなにかを問いかける社会派ミステリーでもあります。
 東野圭吾『回廊亭殺人事件』(光文社文庫)。かなり前の作品ですが,まだ読んだことがありませんでした。多大な資産を残して亡くなった経営者,一ヶ原高顕の遺言が公開される回廊亭という旅館に集まってきた親族たち。その宿には,数年前にも同じように親族が集まっていたのですが,その夜に火事があり,高顕の秘書である枝梨子と付き合っていた里中二郎が死亡し,枝梨子も首を絞められ,大火傷を負います。実は,枝梨子は,子がいない高顕から,かつて付き合っていた女性が産んだ自分の子を探して欲しいという仕事を頼まれており,そうして見つかったのが里中二郎だったのです。回廊亭で,親族に里中二郎が紹介されるはずでしたが,その前夜に火事で彼が死んでしまったのです。枝梨子は,真犯人を見つけるために,高顕の知人である老婆に変装して回廊亭に乗り込みます。遺産が里中二郎に行ってしまうことをおそれた親族による放火殺人ではないかと彼女は考えています。候補者は数人いたのですが,実は真相はまったく異なっていました。悲しい女性の物語ともいえます。
 島田荘司『占星術殺人事件』(講談社文庫)。さらに前の作品です。設定は,昭和初期の二・二六事件のあった日。殺人予告とも思われる,怪しげな手記どおりに,その執筆者の親族の女性6人が,身体のそれぞれ別の部位が切り取られるという猟奇的な連続殺人事件が起こりました。犯人は,手記を書いた男となりそうですが,その男は,連続殺人事件が起こる前に殺されていました。しかも密室殺人でした。しかも,その間にもう一人,別の親族の女性も殺されていました。犯人は誰か。トリックは予想もつかないものでした。著者の読者への挑戦です。あなたは,この謎が解けるでしょうか。私は,主人公の御手洗さんが教えてくれるまでは,さっぱりわかりませんでした。

 

2019年2月 1日 (金)

英語での発信

 昨年,英語で論文を書く機会が続けてあり,とても苦労しました。それでも,神戸大学の法学研究科では,ネイティブチェックについて費用負担をしてくれる制度があり,助かりました。

 書いたテーマは,自営的就労者,解雇,労働協約であり,まだ刊行されていないものとして,労働組合(団結の自由)をテーマとしたものがあります。

 自営的就労者は,昨年2月に神戸大学で開催した国際シンポジウムで出したペーパーを改定した“New Technology and Labor Law: Why Should Labor Policy Address Issues of Independent Contractors in Japan”というペーパーで,Comparative Labor Law & Policy Journalという比較労働法では権威のある雑誌(Vol.39, number3)に掲載されました。有り難いことです。

 解雇については,以前にイタリアで刊行された本に掲載した論文をリバイズしたものですが,八田達夫先生との共編者でSpringerから刊行された“Severance Payment and Labor Mobility- A comparative Study of Taiwan and Japan”に,”Why should the monetary compensation system be introduced in Japanese dismissal regulations ”という論文名で掲載されています。この本の企画は,八田先生が主導されたもので,日本と台湾の解雇法制の比較研究を法と経済の両法から行うという野心的なものでした。海外でも注目されればよいなと思います。日本からは,八代尚宏先生の論文が掲載されています。また台湾からは,私の下で博士号をとった世新大学の李玉春先生も寄稿しています。

 そして,もう一つは,イタリアの雑誌であるVariazioni su Temi di Diritto del Lavoro4 Fascicolo-2018)に,“Relations between collective agreements of different levels in Japan”という論文を寄稿しました。英語のまま掲載されていると思いますが,それはWEB用で,ひょっとしたら紙媒体では,イタリア国内で,イタリア語バージョンも掲載されているかもしれません(もし翻訳版を出すのなら,事前にチェックしたかったですね。英語からイタリア語へはちょっと遠いので,機械的にできるから著者チェックは不要というわけにはいかないと思います)。テーマは,異なるレベルで締結された労働協約間の関係で,たとえば全国協約と企業別協約との関係といったことが論点なのですが,この依頼があったときに日本では同様の問題はないが,なぜ問題はないかということを書いてよいのなら引き受けると返事をすると,それでよいということでしたので,書いたものです。比較法的には,興味深い素材を提供しているかもしれません。他国の情報もあるので,時間があれば,この号全体をゆっくり読んでみたい気もします。

 もう一つ未刊行の雑誌もイタリアなのですが,昨年の5月くらいに提出しているので,どうなっているのかわかりません。これも多くの外国の執筆者に依頼しているようなので,原稿がなかなかそろわないのかもしれません。

 いずれにせよ,ナショナルレポート的なペーパーは,私が勝手に日本代表として試合に出ているようで申し訳ないので,こういう役割はもっと若手か,きちんとした研究者に譲るべきだと思っています。ただなかなか引き受け手が見つからないのです。

 日本の労働法に関心をもつ外国人は少なくないようなのですが,発信側に問題があり,実際には,きちんと労働法のトレーニングを受けていない人(日本人,外国人)の英語での発信が流通しているということもあるようです。経済学や理科系と異なり,法学とくに労働法学は,市場がドメスティックなので,研究者は,国際的な発信になかなか手が回らないのかもしれません。しかし,こういう時代ですから,日本でも比較労働法の専門サイトを作って(雑誌はたいへんですから),きちんとした研究者が英語で発信することが必要かもしれませんね(私が知らないだけで,そういうものはすでにあるのかもしれませんが)。

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »