2020年7月 4日 (土)

NIRA総研のオピニオン・ペーパーが出ました

 先日,NIRA総研のオピニオン・ペーパー(No.49)「フリーワーカーの時代に備えよー多角的な法政策の必要性」がネット上に公開されました。「個人自営業者の就労をめぐる政策課題に関する研究」というNIRA総研のプロジェクトのなかで,キックオフ・ペーパーとして,私が単独で発表した「『フリーワーカー』に対する法政策はどうあるべきか」を受けて,最終的な取りまとめをする役割をもつものです。今回のプロジェクトの構成員では,中央大学の江口匡太さんと亜細亜大学の中益陽子さんが個人でNIRA政策研究ノートを発表しています。NIRA総研は,研究者を大事にしてくれる組織で,プロジェクトはそれとして取りまとめるペーパーを出すが,構成員が個人名で自分の見解に基づくペーパーを書くこともできるという非常に自由な環境を与えてくださっており,これはとても素晴らしいことだと思っています。取りまとめは,私の色が出ているところもありますが,皆さんが研究会で出してくださった議論をできるだけ広く取り入れるという,役所の報告書のようなことをしたつもりです。
 今回のペーパーのサブタイトルには,多少世間へのアピールも考えて「多角的な」という言葉が入っていますが,このテーマは,もっともっと多角的な切り口があります。私の頭のなかには,すでに次のステップの構想がありますが,どの場になるかわかりませんが,また発表できる機会があるでしょう。

 フリーワーカーに関する現実の政策は,コロナ禍の影響もあり,思った以上に早く動いており,はっきり言って,何でもありという感じになっています(雇用労働者への雇用調整助成金も,元の制度は何だったんだと言いたくなるくらい,雇用保険制度が打ち出の小槌になっていますね)。政治家による税金の使い方について,国民として言いたいことはありますが,研究者としては,きちんとした論理や筋で,政策を立てていくことにこだわらなければなりません。政策は,荒唐無稽な非現実なものはダメでも,現実性の判断は結構幅があるもので,私は思い切って理想を追求するところに走ってもいいのかなと思っています。今回のオピニオン・ペーパーは,ある程度,現実的なところにしたつもりですが,これをステップとしてもっと先に進まなければなりません。

 今朝の日経新聞をみると,政府も未来投資会議で「フリーランスのルール整備」の提言をされているようなので,今後,少しは政策が動くのかなという気がします。ただ,私が頭のなかに描いている最終的な絵は,簡単にいうと,雇用労働者もフリーワーカーも区別しないで,働く人という基準で大きく括って政策を考えるべきというもので,しかも基本的にはICTを使ったテレワークをしていることを前提にすべきだというものです。こうした政策を役人に任せると,そういうところにまでは行かないかもしれません。ここはシンクタンクの出番でしょう。大学も期待されるべきなのですが,残念ながら大学院法学研究科についていえば,法科大学院という平成時代からのお荷物を背負っていて,その処理(?)に苦しむことになりそうです。むしろ従来の学部や大学院とは違う,ちょっと怪しげに見える名前の学内の研究機関のようなところが,新たな時代に対応する研究や政策提言をになっていく可能性をもっているかもしれません。

 日本が世界に誇る労働政策に関するシンクタンクJILPTも,いまは優秀な人材を抱えていますが,自前主義は組織を弱めることにならないか心配です。私も大学院生のときから,JILPTの前身の日本労働協会,日本労働研究機構で大変お世話になり,勉強の機会をいただきました。さらに就職してあとも,JIL雑誌の編集委員や特別研究員をやらせてもらい,そのときの経験はいまでも私の研究者としての大事な基礎となっています。ただ特別研究員は15年前くらいでしょうか,突然,終了したのですが(ただ,その後も,編集委員は任期上限の10年になるまで続けましたが)。確か2年くらい前から,確定申告のときに,JILPTの源泉徴収票がないことに気づき,ついに長年お世話になったJILPTから卒業したのだということを実感することになりました。こういう時期と重なるように,数年前からNIRA総研とお付き合いができて,今回のペーパーにつながりました。
 NIRA総研は,いちはやくZoomでの会議を取り入れてくださったので,プロジェクトでは神戸にいながら会議を行うことができて,大変助かりました。客員研究員としての契約書も電子署名ですので,紙のやりとりをしなくてよいなど,先進的でした。
 オンラインの時代になると,どこででも研究ができ,発信ができます。今後は,神戸にいながら,サイバー空間でシンクタンクを立ち上げて,世界へ政策発信することができればということを考えています。サイバー空間なら,名刺をもたない,年賀状を書かない,無駄な社交をしないといった私にも,まだやれることがあるのではないかと思っていますが,それは甘いでしょうかね。

2020年7月 3日 (金)

労働者憲章法施行50周年

 イタリアの労働者憲章法(Lo Statuto dei Lavoratori)と呼ばれてきた1970520日法律300号が,今年50周年を迎えるということで,何かエッセイを書いてくれないかという依頼がイタリアの雑誌から来ました。なぜ日本人の私に来るのか最初は驚いたし,私でよいのかという気もしましたが,私の修士論文は,この労働者憲章法の第28条(見出しは「反組合的行為の抑止」)を扱ったもので,私も深い思い入れのある法律でしたので,お引き受けすることにしました。コロナ禍でも,結構,忙しくて,イタリア語で本格的な論文を書く余裕はなかったので,枚数は問わないという先方の言葉に甘えて,比較的短いエッセイ風のもので勘弁してもらいました(エッセイと言っても,専門的な内容のものですが)。https://www.lavorodirittieuropa.it/dottrina/principi-e-fonti/486-lo-statuto-dei-lavoratori-e-il-diritto-del-lavoro-giapponese

 1970年は私は67歳でしたので,あまり記憶がありません。ただ,母と一緒に,二人で大阪万博に行った甘い記憶が残っています。妹が二人いたので,日頃は母と二人だけになることがなかったときに,どういう理由であったかわかりませんが,おそらく父が妹の面倒をみてくれたのでしょうか,母が私に万博を見せようと思って連れて行ってくれたのだと思います(でもひょっとすると,家族全員で行ったけれど,一緒にあちこち移動したのは私と母だけということだったのかもしれません)。こういう個人的な記憶しかない1970年ですが,社会は,1960年代末の不安定な社会状況の余韻をまだ引きずっていたのでしょう。ちなみに藤原弘達の『創価学会を斬る』(196911月刊)がベストセラーになったのも,この年でした。
 イタリアも,1960年代末は社会騒乱が起きて(異議申立運動など),1969年秋は「熱い秋(autunno caldo)」と呼ばれるような,ある種の労働者の革命が起きて,そのようななかから誕生したのが労働者憲章法でした。これはいわば日本の労働基準法と労働組合法が合体したようなもので(規制内容は日本とはかなり違いますが),今日に至るまでイタリア労働法の基本法となっています。日本のように戦後早々に労働組合法と労働基準法ができたのとは異なり,イタリアは1970年になってようやく体系的な労働立法がなされたのです(イタリア労働法については,少し古くなってしまいましたが,日本労働研究機構(現在のJILPT)から刊行された拙著『イタリアの労働と法』(2003年)を参照してください)。また当初の労働者憲章法の邦語訳は,山口浩一郎先生のなさったものが,ティツィアーノ・トレウ=山口浩一郎編『イタリアの労使関係と法』(1978年,日本労働協会)に収録されています。

  山口浩一郎先生や諏訪康雄先生や脇田滋先生なら,もっと味のあるエッセイを書かれたかもしれませんが,私はやや堅い内容の,イタリアの不当労働行為制度をなぜ日本人の私が研究対象としたのかというようなことを書きました(イタリア語なので,直球的なものしか書けなかったのが本当の理由です)。
 イタリア人の読者にはどうでもいいような内容であったかもしれませんが,個人的には,こういうものを書かせてもらう機会を得て,とても幸せでした。イタリア労働法の研究は,日本では,比較法大国(英米独仏)の研究のついでのようなものですし,イタリアでは,日本人がなぜイタリア労働法の研究をしているのか,ほとんどの人は理解不能という状況であったのです。でも,いま労働者憲章法について多くの有力なイタリア人研究者と並んで,日本人にも書かせようという雑誌が出てきたということで,これまで地道にイタリア労働法研究をやってきて良かったとつくづく感じました。この道に導いてくださった山口先生と諏訪先生には心より感謝しています。

 最近,久しぶりにイタリア留学経験のある亜細亜大学の中益陽子さんと一緒に研究する機会がありました。テーマはイタリア法ではありませんでしたが,イタリア労働法の研究者仲間として,気脈が通じるところがあって良かったです(社会保障法の政策のところは見解が相容れないところもありましたが,それは彼女のほうが専門家ですから当然のことです)。イタリア労働法については,明治大学の小西康之さんや早稲田大学の大木正俊さんもいます。彼女,彼らが,次世代のイタリア労働法研究の道をつないでいってもらえればと思います。

 参考までに,日本におけるイタリア労働法の研究については,「文献研究労働法学(第14回)外国法研究編(イタリア)」季刊労働法247181-190頁(2014年)で概観しています。また私個人のイタリア法研究への思いについては,10年前に「イタリア法への誘い(1)〜(3)」法学教室358号,359号,360号(2010年)で書いています。

2020年7月 2日 (木)

将棋界のトランスフォーメーション?

 藤井聡太という天才が現れて将棋界が変わりつつあるというのは,多くの人が書いていることです。強い棋士が現れて,タイトルをたくさん取っていくということは,これまでもそれほど多くはないですが,あるにはあったことです。羽生九段の七冠は異次元ですが,谷川九段も四冠をもっていたことがありますし,現在の渡辺明九段も三冠です。こういう天才棋士がこれまでも現れてはいたのですが,藤井七段は,羽生九段と違う意味で異次元なのです。羽生九段は独特の勝負術で局面を混沌とさせて逆転というようなことがよくあったのですが,いまの藤井七段はそういう感じではありません。6月以降,棋聖戦と王位戦のタイトル挑戦者決定戦で永瀬二冠(彼も強い)と対局した将棋や棋聖戦のタイトル戦で渡辺棋聖に2連勝した将棋や今日の木村王位との初戦は,勝負というよりも,究極の最善手を追い求めて神と闘っている感じです。今日も藤井七段の眼中には(おそらく)木村王位はなく,ただひたすら盤面に集中し,そして相手を攻め倒してしまいました。

 AbemaTVでは,1手ごとに評価値が出てAIの判断する候補手が良い手から順番に並べられます。序盤は作戦がいろいろあるのであまり評価値は関係ないのですが,中盤以降はAIの候補手はほぼ正解手を示しています。そして,藤井七段はほとんどAIが選ぶ手を指していきます。終盤戦になると評価値は90%を超えて,これだけみると勝ちは確実といえそうなのですが,この評価値は,AIが最善手を指し続けることが前提の評価で,2番手や3番手の手を指すと,たちまち評価値が大きく下がって逆転することもあります。しかし藤井七段はそこで間違った手を指さないのです。AIが最速最善の手で勝つのと同じような勝ち方を藤井七段はするのです。これでは人間は彼に勝てないでしょう。

 棋聖戦の第二局では,もっと衝撃的なことがありました。藤井七段が指した「3一銀」という手は,AI3番手でしか候補にあげていなかった手でした。受け一方の手で,AIはあまり好まない手だったのでしょう。しかし,Yahooニュースでみたのですが,これがAIのソフトで時間をかけて読ませると,実は最善手であることが発見されたというのです。藤井七段が23分で指した「3一銀」は,実はAIに6億手読ませたところで,突然,最善手として浮上した手だったそうです(https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200629-00185551/)。

 AIも手を読んでいるわけで,最善手が変わっていくこともあります。そこでようやくたどり着いた最善手に,藤井七段はあっという間に到達したのです。そんなのはまぐれだろうとは言わせない強さがあります。結局,この手のあと,渡辺棋聖は押し切られて良いところなく完敗しました。

 棋聖戦の初戦もすごかったです。最終盤で渡辺棋聖の超手数のきわどい連続王手を振り切り,最後は相手の王手に対して逆王手で返す快心の勝利でした。王手を振り切るというのは,ちょっとした読みのミスがあれば,すぐに負けになるというスリリングな綱渡りのようなものなのですが,おそらく藤井七段は,確実にそこを行けば大丈夫という細い細い道がきちんと見えていたということです。
 将棋は逆転のゲームです。羽生九段は,将棋はミスにつきもので,最後にミスをしたら負けると言っています。そこにドラマがあります。でも藤井七段は,おそらくミスをしないのです。ドラマはありません。聴衆の楽しみ方は,藤井七段とAIの知恵比べに変わりつつあります。
 将棋の言葉に「ふるえる」というものがあります。どうしても勇気をもてずに踏み込めないような状況です。将棋は勝つためには,いろんな駒を捨てていかなければなりません。それにより,相手の持ち駒が増えていくので,相手の戦力が増強されていきます。だから,普通は怖いので,できるだけ駒を捨てずに,確実に勝とうと考えたくなります。あるいは自分の陣を守ろうと考えてしまいます。しかし最後は相手の王様を詰まさなければ勝てないので,いつかは攻めなければならないのです。1瞬の隙をついて,もう一歩もひけないという状態で攻めかかるというのは,怖さをしらないAIならできますが,人間には難しいのです。そういう勇敢な将棋を指して一世を風靡したのが谷川九段で「高速の寄せ」と呼ばれ,私もそれに魅了されてきした(日経新聞の夕刊で書かれるみたいですね)。しかし,いまの藤井七段はそれを上回っているかもしれません。
 木村王位には申し訳ないですが,なんとか1勝できるかどうかという戦いになりそうです。ただ昨年も当時の豊島将之王位に挑戦したとき,木村4連敗を予想していたのに,予想が外れてタイトルをフルセットの末に取っているので,なんともいえませんが。
 頭を抱えているのは渡辺三冠でしょう。渡辺三冠は5月までは間違えなく現時点で最強棋士でした。渡辺三冠がどうしても欲しいのが名人のタイトルです。現在のタイトルの格は竜王のほうが上ですが,歴史的にも,また棋士としての名誉という点でも名人のタイトルは別格です。そして名人5期をとって永世名人になって,はじめて将棋の歴史に名を刻むことができるのです(現役では,17世名人谷川⇒18世名人森内⇒19世名人羽生と来ています。次の永世名人が第20世です)。現在,豊島竜王・名人との名人戦が始まり,初戦に勝っていよいよかというところでしたが,藤井七段との棋聖戦が併行して連敗し,そして名人戦はその後,豊島名人に2連敗という状況です。藤井七段に最年少タイトルホルダーをとられたくないので棋聖戦に全力投球したいけれど,悲願の名人も取りたい。渡辺三冠の力ならできないこともないのですが,それがちょっと難しくなってきています。
 ここで藤井七段があっさり二冠をとると,豊島・藤井2強時代となるかもしれません。そして,もし竜王戦で藤井七段が勝ち進んで(決勝トーナメントに進出が決まっていています),豊島竜王・名人から竜王をとるようなことにでもなれば,今後,何十年も君臨するかもしれない1強の王者が誕生することになる可能性もあります(藤井七段が名人をとるためには,あと3年はかかります)。

 コロナ後の社会の大変革が予想されるのですが,将棋界はひょっとするとAI並の強さをもつ一人の若者の登場によって,大きな変革が起こるかもしれません。まずは棋聖戦の第3局(79日)が注目です。渡辺明三冠としては,今後の棋士人生をかけて,時代の流れを少しでも止めるためにも,これから3連勝で逆転防衛をしなければなりません。

2020年7月 1日 (水)

変革の真っ只中

 最近はネットでのアウトプットは,明石書店のWEBマガジンに,ほぼ週1ペースで原稿を書いているので,ブログを書くだけのエネルギーが残っていなかったのですが,久しぶりに書いてみたいと思います。というか,書きたいネタはいっぱいあるし,本のお礼も山ほどたまっているのですが,それは追々やるということで,今日は近況報告のようなものを中心に書きます。
 引きこもり生活も,だいぶん長くなりました。この2月以降外出はめっきり減り,3月以降ですと,ほんの数えるかぎりとなりました。大学の授業はオンラインですし,依頼が来た講演もオンライン以外のものはお断りしています。緊急事態宣言は国が勝手に解除していますが,ワクチンがない以上,感染したら治療方法がないので危険極まりないのです。私は,どうしても出なければならない用事以外は外出していません。オンラインでできる会議なのに,オンラインでやらないような会議は,私にとっては,それが不要不急かどうかという基準でみるのではなく,そもそもやり方が間違っている会議だと思っています。
 学校も企業も,オンライン対応にしておかなければ,9月にも来るかもしれない第2波のときに大きな影響が出るでしょう。オンラインはいろいろやっかいだから,オンラインでやらずにすむなら,できるだけリアルでやろう,また何かあれば,そのとき考えればよいし,できればそのときが来なければいい,という心理状態の人が,組織の上にいたら大変なことになります。オンラインとリアルの両方ねらいは非効率です。オンラインでやらざるを得ないと腹をくくるべきです。リアルでやっていても,すぐにオンラインに戻らなければなりません。それならオンラインを続けてノウハウを蓄積したほうがよいのです。
 ちなみに,会議はリアルで開催されて,一部の人がオンラインで参加するという併用型は非効率です。私もリアルでやっている会議に一人だけオンラインでの参加ということを,霞ヶ関の会議などで何度か経験していますが,これはやりにくいです。全員オンラインにすると会議のクオリティが格段に上がります。これは私だけの意見ではありません。
 私はムーブレス(移動なし)で行くと宣言していますので,コロナ禍が終わっても,外部の仕事は出張となるものはお断りするつもりです(すでに,コロナ前から原則としてお断りしています)。それのみならず,大学の仕事も,できればオンラインにしてもらいたいと思っています。近所に住んでいるので,どうしてもとあれば出勤はするつもりですが,私は少なくとも少人数の講義はオンラインのほうが効率的だと確信しているので,オンラインでの実施をお願いしていきたいです。ただ,より重要なのは,大学ではなく,小学校です。この子達が大人になったときは完全なデジタル社会です。コロナのせいでオンラインでいろんなことをせざるを得なくなったのは,ちょうど未来のことを早く経験できる絶好の機会でした。これをちょっと安全になったかようにみえるため(ほんとうに安全になったとはいえないでしょうが),リアルの体制に戻すのはもったいないです。子供達の人生は長いのです。目先の教育の遅れなど何ともありません。というか,いま学んでいることが,どこまで子供達の将来に役立つかということからして,あやしいです。いずれにせよ,教える内容もさることながら,まずオンラインでの教育を進めていく体験をさせるほうが,子供達のこれからの長い人生にとって遙かに役立ちます。
 環境問題でも同じですが,大人達がやるべきことは,いかにして社会をきちんと次の世代に継承していくかです。環境を大事にして地球の持続可能性に配慮することもそうだし,教育もほんとうに次世代にとって役立つものを伝えなければなりません。何かあればすぐに,これまでのやり方に戻そうとするのは間違っています。コロナは,来るべき次の時代の社会の到来が早まったにすぎないのです。視線を未来に向けましょう。

 などと書いていたら,先日も,あるところに出す提出書類に印鑑が必要という案件が二つもありました。メールやWEBで完結できないのです。私は自宅にプリンタがないので,どしようもありません。コンビニに行くしかありません。まったく意味のない印鑑。それがなければ,求めていることをしてもらえない。ある意味で,恐ろしい社会です。でも現場の人はその恐ろしさに気づかず,印鑑を押してくださいと無邪気に言って,彼ら・彼女らのルーティンワークをこなしているのです。彼ら・彼女らに罪はないのですが,でもそういう無自覚な行動の積み重ねが,社会の変化を阻止している理由なのでしょう。

 神戸労働法研究会は,参加者の希望しだいですが,個人的にはずっとオンラインでやって,年に1回くらいオフ会的に集まるということでよいと思っています。来年秋の日本労働法学会への参加を誘われていますが,出張しなければならない場所でしたら,オンラインでしか参加しないということをお願いしています。海外出張も,よほどのことがないかぎり,やることはないでしょう(私的な旅行はするでしょうが)。

 コロナ後の世界はムーブレスです。でもオンラインでかえって人とのつながりが強まっている気もします。ときたまリアルで会う人の温かみも強く感じられます。最近は,他人との接触は,リアル以外にも,メールのやりとりだけ(出版社関係),電話だけ(一部の新聞の取材),Zoomなどによるもの(取材,講義,研究会など)といくつかの段階があり,そのどれを使っても,それなりにつながっていると思っています。私はいまのところはSNSはLINEしかやっていませんが,暇になればツイッターやインスタもやるかもしれません。いずれにせよ,これだけ多様なネットを介したコミュニケーション手段があるのに,仕事にだけリアルにこだわるのは,おかしいでしょう。何よりも感染症をなめたらいけません。

 ところで,テレワークのことをディープに考えようということで,明石書店のWEB会議で連載をしています。また,産経新聞の「ニュースを疑え」というコーナーでのインタビュー記事が今日ウェブで掲載されました。テレワークについての取材というのが最初の依頼でしたが,もっと大きく,これからの社会のことも熱く語っています(自宅で,眼鏡姿でインタビューに応じている画像が公開されていて恥ずかしいですが,昔ならこだわりがありましたが,いまは自然体でこれもいいかなと思っています)。そして,日本法令からは,そうした大きな社会の変革と労働のことについてまとめた一般書が,今月中にも刊行されます。サバティカル中にいろいろ考えて,私自身の考え方を根本から再構成しようと格闘した成果が少しでも出ていたら嬉しいです。そして,おそらく年内には,労働法学者としての私の集大成といえる作業を完結させようと思っています。労働法の理論体系を,全く新しい感覚で刷新する「人事労働法」という分野を確立すべく,まさにいま作業を進めています。個人的には,もともと2020年は変革の年の予定でした。予想もしていなかったコロナのせいで,世の中のとてつもない大きな変革の波に埋もれてしまいそうですが,なんとか自分なりにやるべきこと,やりたいことをコツコツとこなしていくつもりです。

2020年5月21日 (木)

今朝の日本経済新聞(2020年5月21日電子版)から

 今日の経済教室に川口大司さんの「日本型雇用改革の論点(上)解雇の金銭解決・導入が急務」という論考が掲載されていました。「2020年版 経営労働政策特別委員会報告」を素材に,日本型雇用システムの改革の動きについて,実にシャープに分析されていますので,まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。見出しになっている「解雇の金銭解決」については,川口さんと私が編者をした本『解雇規制を問い直すー金銭解決の制度設計』(有斐閣)にも言及されています。政府の解雇の金銭解決の議論は,根本から間違った方向で進んでいるように思いますので,仕切り直しをしたほうがよいです。川口さんのようなバリバリの経済学者でかつ労働法にも精通する学者(そのほかにも,厚生労働省べったりではなく,きちんと意見のいえる大竹文雄さんや神林龍さんのような方)を中核に据えて,もっと大胆に政策を推進できるような態勢で改革に取り組んでもらいたいです。ところで,その論考のなかで出てくるラムザイヤー米ハーバード大教授の書評は,私たちの問題意識を十分に理解せず(とくに法制度の提言内容も誤解しており,批判が的を射ていませんでした。内容が難しかったのかもしれませんが),勝手なことを書いているだけのもので,しかも結論としては,解雇規制は不要で契約でやればよいという乱暴なものです。もう少し,まともな議論をしていただきたかったのですが,残念です。
 今朝の日本経済新聞では,このほか「労働組合の連合は個人事業主や,特定の企業と雇用契約を結ばないフリーランスなどの働き手を対象にした新たな会員制度を10月に新設する。」という記事も出ていました。雇用類似の人だけを対象とするのか,より広く対象とするのか記事だけからはわかりませんが,今後は非雇用の「フリーワーカー」が増えていくことは確実なので,労働組合も組織の維持のためには,ウイングを広げて行かざるを得ないと思います。ただ,純然たるフリーの人まで対象とするならば,雇用とは違う問題が多くあるので,どこまで満足のいくサポート態勢を築けるかがポイントとなるでしょうね。
 もう一つ,脱ハンコ文化という記事のところで,クラウド会計ソフトのfreeeの中小企業の従業員へのアンケートで,テレワーク期間中に出社した頻度が「ほぼ毎日」「週1回程度」との回答があわせて37%あり,その理由として「契約書の押印作業」を挙げた人が22%いる,という情報が掲載されていました。政府がテレワークを推奨しているのは,感染抑制のためだけでなく,従業員本人にも危険があるためであり,それをまったく意味のない押印のために出勤しなければならないとなると,もし私が同じような立場ならストライキをしたくなるでしょう(注:ストライキを個人でいきなりやっても正当性は認められませんが)〔5月22日追加〕。こういうときこそ労働組合は声を上げるべきなのです。中小企業なので,労働組合が組織されていないかもしれませんが,連合は,全労働者のために,押印のための出勤をやめさせるよう企業に呼びかけ,さらに政府にも公的な申請書類の押印をやめさせるよう呼びかけてもらいたいです。これは従業員の健康に関わる問題という認識が必要です。押印のごときことのために,従業員の健康を危険にさらして出勤させてよいのか,労働組合にはもっと怒ってもらいたいです。ストライキというのは,賃上げ要求やリストラ反対というときだけでなく,健康や安全に関わるときにも,そして,むしろそういうときにこそやるべきものなのです。
 ちなみに三密禁止ということで外出しないという行動を愚直に守っている私が一番腹立たしいのは,テレビで映っている政府の会議がどれも人の密度が高いようにみえることです。コロナに関する専門家委員会の会議でも,多くの参加者が会議室にかなり密集しているようにみえます(会議室の出入りのときに,ちゃんと距離をあけていますでしょうか)。あれでは国民には説得力がないですね。大切な会議だからこそ,オンラインでやってもらいたいです。紙も使わないでほしいです。そういうところから,政府の本気度がどの程度かが国民に伝わるのです。

 

2020年5月16日 (土)

再び近況の報告

 明石書店のWEBマガジンの「テレワークがもたらすもの」は,早くも,第2回「テレワークに注目するのはなぜか?」がアップされました。今回はテレワークの社会的意義のようなものをまとめて採りあげています。テレワークに関する論考は,最近,メディアでも次々と出てきていますが,それらとはひと味違った連載となるように頑張っていきます。
 12日の火曜日の日本経済新聞の朝刊の「働き方 innovation データで読む」に同一労働同一賃金関係に関する私のコメントが掲載されました。2か月前の同紙の経済教室の内容をご覧になった編集者の方が,取材依頼されました(電話取材です。これまでの経験では,新聞はSkypeの取材をしたがりません。たまたまそういう人ばかりに当たっているのかもしれませんが)。掲載内容は,いろいろ話したなかの一部にすぎないのですが。個人的には,同一労働同一賃金関係の議論をすることはあまり意味がないという立場ですが,取材がくると,ついつい熱を入れて話してしまいますね。そういえば,ロイヤルリムジンの解雇騒動についても,レイオフや失業給付について取材が来たので,ずいぶん丁寧に説明をしましたが,その後の会社が解雇を撤回したこともあって,ニュースバリューがなくなったのでしょうかね。こうした問題の本質をみれば,まだニュースバリューはあると思いますが,記者がそのことに気づくかですね。また,フリーランス関係についても,いつもと同じような取材が来て,今回は,PPTのスライドを事前に送ったうえで説明するという,私としてはかなり親切な対応をしましたが,記事になるかどうかはよくわかりません。そういえばつい数日前は,厚生労働省の助成金関係の取材申込みがあって,これはまだ探索的な取材でしたので,調査したほうがよい事実確認をお願いして,その事実が確認できたらコメントするという対応をしました。現在は,ずっと自宅にいるので,基本的には,取材には協力する姿勢ですが,テーマと相手方の意欲と問題意識と事前準備の程度しだいで,当然,こちらの対応は変わりますね。すでに筋が出てきているというタイプの取材には警戒をします。
 それから,電機連合NAVI74号の「羅針盤」という欄に「5年後の働き方―『コロナ後』の労働を展望する」という少し長めのエッセイを寄稿しました。2年前に執筆したことがあるので,もう同じ雑誌には書くことはないと思っていましたが,また依頼が来ました。読者の皆さんのために少しでも参考になることが書けていればよいですが。テーマ的には,今後はこの種のものの依頼が増えそうです。近いうちに,非法律系の書籍の一節に,類似テーマでもう少し長い論考が掲載されます(脱稿済み)ので,刊行されたらご報告します。

2020年5月 9日 (土)

近況

 今日は,3か月半ぶりに,神戸労働法研究会を開催しました。Zoom会議でしたが,個人的には,日頃のリアル研究会とほとんど変わりませんでした。みんなと再会できて,とても嬉しいです。しばらく,他の研究者と議論して頭を使うという機会がなかったので,とても良い刺激となりました。コロナショック後の巣ごもり研究を終えて,本格的な研究活動再開という感じです。アスリートの方達などは,なかなか本格活動ができなくて気の毒です。研究者はその点,オンラインでほとんどのことを完結できるので,恵まれています。感謝の気持ちを忘れず,自分たちのできることをやっていきたいです。
 今日のテーマは,徹底的に常識を疑うということだったと思います。まず千野弁護士に組合事務所明け渡しに関するヤマト交通事件と賃金・賞与減額などに関するキムラフーズ事件をご報告いただきました。それを素材に,議論では,もう一歩踏み込んで考えてみようという姿勢で,いくつかの論点を根本から問い直す議論ができたと思います。こういうことを積み重ねていくなかで,知の共有財産が蓄積され,参加者各自が新たな発想をつかんで論文につなげてもらえればと思います。それと今日はおまけで,私が本邦初公開の「人事労働法」構想を披露させてもらいました。新しい労働法へのチャレンジのつもりです。参加者のかたから有益な意見や感想をいただき,勉強になり,また励みになりました。研究者の議論にはタブーはなく,挑戦あるのみです。
 現在の仕事のもう一つの中核になるものとして,明石書店のウェブマガジンに「テレワークがもたらすものー呪縛からの解放」(https://webmedia.akashi.co.jp/categories/877)の連載が始まりました。明石書店では,以前に『君は雇用社会を生き延びられるか』という本を出していますが,9年ぶりに仕事をさせてもらうことになりました。編集者の方が,テレワークをしなければならなくなったことをきっかけに, 当時から私が「テレワーク」のことを話していたのを思い出して声をかけてくださいました。「テレワーク」については,いろいろなところで話題になっていますが,なぜ「テレワーク」が必要なのか,それは前近代的な働き方の「呪縛からの解放」であるということを,私なりの視角でしっかり伝える論考にしたいと思っています。もちろん世の中にはテレワークやオンラインブームに対して賛否いろいろな議論があると思います。私の主張を素材に議論の活性化ができればと思っています。
 ビジネスガイドで連載している「キーワードからみた労働法」の新作(第155回)のテーマは,「SDGs(持続可能な開発目標)」です。いま私が最も注目しているテーマの一つです。労働法の議論においてもSDGsESGが無視できなくなっていることを解説しています。
 コロナの影響で,まだAmazonでも扱われていませんが,『経営者のための労働組合法教室』(経団連出版)が,8年ぶりに第2版が出ます(すでに刊行の準備は3月にできています)。世の中は経済活動が停滞していますが,今後の雇用情勢いかんでは,労働組合の存在意義が高まることになります。経営者の方だけでなく,労働者の方も,労働組合をめぐる法的ルールについて基本から学んでみたい方は,在宅勤務の合間にでも,ぜひ手に取って読んでみてもらいたいです。

 

2020年5月 4日 (月)

秋入学に賛成

 大学では,クオーター制導入の混乱で多少困りましたが,もともとセメスター制で4月開始と10月開始という感覚でやってきました。たしかに入学式が4月とか,卒業式が3月とかそういう行事はあるものの,これは春の行事だということから秋入学はダメというのはおかしいことで,一番重要な教育という面では,10月(9月)入学に変えても,大きな問題はないように思います。ちなみに神戸大学のLSの労働法の授業は,後期が労働法1で,前期が労働法2です。学生の標準的な授業の取り方は,2年生の後期と3年生の前期なので,10月が開始になっても何も問題ありません。
 大学教員は留学経験のある人がほとんどだと思いますので,秋に開始ということに抵抗感がある人は少ないでしょう。学部生の留学も増えてきていますし,また海外からも留学生が増えている現在,世間で思っているほど大学関係(教員・学生)では問題はないように思います。経団連が新卒も通年採用に移行するというようなことも言っているので,そうなると就職への支障もあまりありません。就職活動のあり方が大きく変わろうとしているいまだからこそ,入学時期を変えることもやりやすいでしょう。司法試験や公務員試験がどうなるのか,というような声もありますが,現在の時期でなければならない強い理由はないのではないでしょうか。
 秋入学に反対する最も有力な理由は,移行期の混乱です。これはもちろんきちんと考慮すべきことですが,これを言っていれば,いつまで経っても改革はできません。もともと日本の年度が4月開始であることに,たいした理由はないのであり,ただこれまでやってきたから便利というだけです。少なくとも教育関係は思い切って国際標準の秋入学にしてしまってよいのではないでしょうか。夏の暑い時期はたっぷり休んで,涼しくなってから新学期が始まるというのは悪くないはずです。早く変えたほうが,未来の世代から感謝されると思います。たしかに今年の秋からというと大変でしょうから,来年秋からにすればよいのです。新型コロナの混乱は当分は続くでしょうから,しっかり準備するためにも来年からのほうがよいでしょう。
 今回の9月入学の議論は,現時点で子供への教育が停止しているので,9月に新学年をリセットするという意味もあるようです。ただ,この点については,繰り返し言うように新型コロナの影響は残り続けるので,子供が安全に教育を受けるようにするためのオンライン授業の実施や継続を優先的に考えるべきでしょう。これは秋入学の話とは切り離して考えるべき問題です。
 オンライン授業を完全実施するため,子供のいる全世帯にスマホかタブレットを配布し,通信環境の整っていない家庭に補助するなど,デジタル化対応を一挙に進めることが検討されるべきでしょう。いつ届くかわからないようなマスク配布に金を使うくらいなら,様々なオンラインサービス向けの投資にお金を回すべきでした。いまのままではデジタル格差が生まれかねません。いまからでも遅くないので,まずは教育対応からデジタル投資をすべきです。こうしたことが,今後さらに継続して必要となるであろう給付金支給において,オンライン申請が円滑に行われるようにすることにつながります。
 というように思うのですが,そもそも現在の内閣のなかで,デジタル技術をつかって仕事をしている人がどれくらいいるのでしょうかね。問題意識が十分でしょうか。
 ところで大学は,学生のデジタル対応へのサポートを強めています。学生の就学環境にとってオンライン授業を聞ける状況にあることが不可欠となったからです。現在のところ,オンライン授業は好評のようです。リアル空間では,1対多という感じであったのが,オンラインでは, 11の集合のような感じになり,学生との距離も近くなったようです。リモートのほうが近いというのがオンライン技術のすごいところですね。もう戻れなくなるのではないでしょうか。

2020年5月 1日 (金)

いいなづけ(再掲)

 7年以上前の2013年1月18日にアップしたブログです。感染症というと,あのペストをテーマにしたマンゾーニの「いいなづけ」を思い出しました。探してみると,ウェブ・アーカイブに残っていたので(https://web.archive.org/web/20130301095144/http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/cat21598620/index.html ),下に再掲しました(再掲にあたり最小限の訂正を入れています。訂正部分は[ ]にしています)。あまり内容のない紹介で,たんにベタ褒めしているだけで恥ずかしいですが,皆さんが読むためのイントロになればと思います。ただしネタバレありなので,まず読んでもらったほうがよいかもしれません。


ずいぶん長い時間をかけて読みました。速読せず,じっくり味わって読んでいました。たまたま先週体調を崩したので,まとめて読むことができて,なんとか最後まで行きました。イタリア人なら誰でも知っているManzoni の「I promessi sposi」(河出文庫)です。平川祐弘氏の訳も素晴らしいです。イタリア語を普通の日本語に訳すのは難しいのですが,この訳は日本語としても名訳であり,びっくりしました。タイトルもいいです。「婚約者」では,ちょっと感じが違います。「いいなづけ」というのは,親に押しつけられたというニュアンスもあるのかな,とも思いますが,とにかく結婚を約束されていた二人,というような意味でしょうから,その[ニュアンス]は「いいなづけ」のほうが,「婚約者」より出ていると思います。
 ミラノに[住んで]いた者として,今まで,ずっと読みたいと思っていたのですが,やっと読めて良かったです。素晴らしい本です。何が素晴らしいか。それは,ぜひ実際に手[に]とって読んで欲しいのですが,見所はいろいろあります。人間描写のすばらしさ,人生の不条理と人間性の奥深さなどを存分に味わわせてくれます。神を信じない私も,神様っていいな,神父様っていいなと思わされてしまいます。ペストの悲惨さも,ここまで克明に描かれると,まるで体験したかのような気分になります。スペインに支配されていた時代のミラノのことも知ることができます。歴史[の]記録としても意味がある本でしょう。主役が誰かわからないところも,かえって読みやすくなっています。登場人物の誰とも距離を置いて,人間というものの本質を描いているこの本は,間違いなく世界の最高傑作の一つでしょう。
 簡単に筋を[紹介する]と,ある貧しい若い夫婦が結婚を約束していて,司祭に結婚の儀式をしてもらう[はず]が,妻になるはずのルチーアを気に入った悪徳領主が,司祭に対して結婚式を延期せよと圧力をかけて,司祭がそれに従ってしまうところから話が始まります。二人は司祭に不意打ちをして,本人の前で結婚の誓いの言葉を述べてしまおうとするのですが,それが失敗に終わり,村からの逃避行が始まります。ルチーアと母のアニーゼが逃げ込んだ修道院のシニョーラの裏切りでルチーアは,領主からルチーア略奪を命じられた極悪非道の者(インノミナート)の城に連れて行かれるのです。しかし,あわやのところで,なんとその極悪人が改心するのです。しかし,ルチーアは,そのことを知らず,マリアに願をかけてしまいます。それは,一生,処女でいるので,救ってほしいという願です。彼を捨てるという覚悟をしたのです。その間,彼レンツォは,ミラノに行って,思わぬ暴動に巻き込まれて大変な犯罪者となってしまいます。不幸が次々と起こる二人に,神は幸せを与えるのでしょうか。
 読んでいると,この司祭には,怒りを感じます。領主の舎弟のやくざの脅しに負けてしまったことが若い二人の不幸の始ま[り]なのですが,司祭本人は不幸な出来事に巻き込まれた被害者意識ばかりあります。司祭は,後からこの顛末を知った枢機卿から叱責もされます。でも,ここがとてもイタリア的で,こんな俗物の司祭もいるなと,思わず共感[ ]てしまうのです。司祭だって人間で,保身が大切だからねと,にやっとしていしまいます。イタリア映画には,カトリックの司祭たちの俗物性を揶揄するシーンがよくありますが,これは,この本の影響かもしれませんね。
 一方,大変な人格者のクリストーフォロ神父。こんな人がいたら,どんなに救われるであろうと思わ[せ]る聖人です。ルチーアを,マリアへの願から解放したのも彼です。でも,こんな人は普通はいないだろうなとも思います。ただ,この人には殺人を犯したという過去があるのです。そこから悔い改めたというところが,いいところです。読者は共感を覚えるでしょう。
 レンツォは,普通の身分の低い若者です。教養もありません。酒を飲み過ぎて大失敗もします。でも,ルチーアへの愛やアニーゼへの思いは純粋で,実に愛すべき青年なのです。彼が,自分を不幸に追い込んだ領主がペストにかかって瀕死となったときに,復讐の言葉を発したとき,クリストーフォロ神父に叱られるのですが,でも,レンツォの気持ちはみんなよくわかります。自分の婚約者を理不尽に領主が横取りしようとしたのですから。
 ルチーアは,自分が何もしていないのに,次々と自分に不幸が起こるなか,ただひたすら神を信じるのです。今の時代はともかく,少し前までの女性の受け身的な行き方を象徴しているように思います。自分の運命は,周りの人によって,次々と翻弄されます。自分の出来ることは,ひたすら祈ることだけ。そんなルチーアに,誰もが同情を感じるでしょう。でも,彼女は最後には幸せになるのです。
 余計なことを書きましたが,この長編傑作は,一読に値します。イタリア好きであろう[が]なかろうが,関係ありません。繰り返しですが,この素晴らしい邦訳に出会えたことは,ほんとうに喜ばしいことだと思います。平川先生は,まだご健在でいらっしゃるのでしょうか。 ☆☆☆☆☆

2020年4月30日 (木)

最新重要判例200労働法(第6版)の刊行

  『最新重要労働判例200労働法』(弘文堂)の第6版が出ました。といっても,もう1か月以上経ちます。おかげさまで,第6版まで出すことができました。読者の皆様に感謝です。この本があるため,いまでも判例の勉強は継続して行っています。改定作業は実質的には年内に終えていたので,今年2月末にでた「逆求償」に関する最高裁判決は入っていません。これは第13事件の「茨石事件」の解説に付け加えることになりそうです。この判決については,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」で取り上げているので,興味のある方はご覧になってください。
 このほか3月末には国際自動車事件の差戻審の最高裁判決も出ましたね。前にこれもビジネスガイドで,差戻審の高裁判決は最高裁のメッセージを読み間違ったのではないかと論評していました(ビジネスガイド137号の「キーワードからみた労働法」)。案の定,高裁判決は破棄され,再び差し戻されました。この差戻審の最高裁判決は,そのうち研究会で検討することにしたいです(神戸労働法研究会は2月以降中止していましたが,オンラインで再開することになりました。オンラインにすることにより,遠方の方も参加できるようになりますし,帰国中の留学生が海外から参加することもできるので,新たな可能性が生まれた気がします)。
 今後は労働契約法20条関係の最高裁判決も出るでしょう。そう思うと,まだ『最新重要労働判例200労働法』の役割はありそうですが,その一方で,コロナ後の社会を思うと,どうなるのかわからないなという気持ちもあります。ご存じのように,私はここ数年,自営的就労者の時代が来て,労働法が不要になると主張しています(それが,拙著『会社員が消える』(文春新書)というタイトルにも表れています)。それがいつになるかわかりませんが,2035年くらいかなと思っていたところ,ぐんと早まる可能性が出てきましたね。
 ところで新型コロナショックでまず話題になったのが,自営的就労者の収入途絶問題でした。いきなり仕事がなくなったので大変です。個人でやっていますから経済的にもこういう大きな変動への抵抗力は弱いでしょう。だから自営的就労者のことをもっと政策的に考えなければならないという話になります。
 しかし,少し冷静に考えると,これは,やや違う観点から論じることができます。今後,大リストラの波がやってきます。今朝の日本経済新聞の社説は,「雇用ルールの軽視は許されぬ」として,とくに中小企業に対して労働法を遵守せよと言っています。しかし,ここは中小企業のことも考える必要があるでしょう。雇用調整助成金がなかなかもらえないという事情もあります。ようやく政府はオンライン申請を言い出していますが,実際には申請してもいつ助成金がもらえるかわからないでしょう。いずれにせよ,労働法の遵守は当然のことです。ただ,労働法を遵守しても今回くらいの事態であれば解雇は合法的にできてしまいます。労働契約法16条や整理解雇の法理によっても,そこは止められません。むしろ解雇はやむなしと想定して,どうやって企業も労働者もできるだけダメージを小さくし,コロナ後の立ち直りを早くするかを考えなければならないのです。見込みのない企業で雇用を支えてもらって,結局共倒れになるよりは,早く次のステップを考えたほうがよいです。コロナ後がいつくるかわからないのですが,オンライン化が進み企業の省人化対応も進むと,製品需要が戻っても,労働力需要は戻らない可能性が高いでしょう。機械でできることは機械でというAI時代で予想していたことがいきなり実現してしまう可能性があります。そうなると,どういうことが起こるかは拙著『AI時代の働き方と法―2035年の労働法を考える』(弘文堂)を読んでいただきたいのですが,結局それは個人の自営的就労者やフリーランスの時代になるということです。だからそれに備えた政策が必要なのです。昨日,西日本新聞で,この問題に関係する記事のなかに掲載されている私のコメント(内容はいつも述べていることの繰り返しですが)も,こういう問題意識です。つまり自営的就労者への政策は,現在の問題であるだけでなく,コロナ終息の直後の問題でもあるのです。
 ところで,今回の新型コロナショックで,もし私たちが主張していた解雇の金銭解決制度(大内・川口大司編著『解雇規制を問い直すー金銭解決の制度設計』(有斐閣)を参照)があればどうなっていたでしょうか。私たちの主張は,企業は帰責性がなくても,解雇をする場合には,労働者の逸失賃金を完全に補償しなければならないというものでした。そして,その負担は,中小企業には大きすぎるので解雇保険を作って対応すべきとしていました。もし実際にこの制度があったとすれば,新型コロナショックで瀕死の企業は,従業員を解雇することができますが,労働者も解雇保険から十分なお金がもらえます(メリット制によりその後の企業の保険料は高くなりますが,それは当然のことです)。もちろん,大量の保険給付で保険財政が大変なことになるでしょうが,それは政府が特例で援助して対応すればよいのです。
 なんてことを思いますが,手遅れですね。実は,私たちの主張する解雇の金銭解決制度は,これから雇用が減って自営に移行していくようになるときにこそ,活用できるはずなのです。これは(よく誤解されているような)解雇を自由化する制度ではなく,解雇の際に企業負担でプールしていた基金から従業員の生活保障にお金を回すという制度なのですから。
 平時においていかにして想像力を働かして将来に向けた制度を構築するかが重要ということを,改めて知ることになりました。今回のような事態が生じるとはまったく想像できていなかった私も,大いに反省しなければなりません。感染症の危険を警告し,実際に活動をしていたビル・ゲイツは偉大ですね。

 

 

 

 

 

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